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「あいつは呪術とか好きだからな」と聞いたことがあったし、彼がそのような書物に興味を示している姿もずっと前から繰り返し見かけたことがあった。
だから、きっと自分にも呪詛をかけたのだ、と思いたくなる瞬間が、それがただの現実逃避だとしても、ヒノエのそう長くもないだろう、少なくとも彼よりは嵩の足りない人生の中で、とはいえ、何度もあった。
自分の感情に責任を持てないとか、他人由来にするとか、そんなの性分じゃない。特にこんな、恋、なんて分類されるのであろう感情なら尚更だ。胸を張って、彼が良いと思ったから好ましいと思ったんだ、と言いたい。熊野の男なんだから殊更に言いたい。他人が同じことを言っていたら何言ってんだだせえとか絶対言うに違いないと思う、けど、ヒノエからしたら、もう、どうにもままならなさすぎて恨みたくなることが、多々あったのだ。
自分でも情けないし弱音だし未熟すぎて悔しくて仕方が無いが、相手の本音が分からないのだ。
ただでさえかなり年上で、近しすぎる親類で、向こうは幼いころからヒノエの事を知っている。それだけでもまあ、分は悪い。その上相手は口先から生まれてきた、を地で行く男であったので、それはもう、ヒノエは延々と、それこそ恋心に気付くよりもずっと前から、煙に巻かれ続けてきた日々だった。
素直に好意を(もちろん肉親としての、だ)を抱いていた幼い頃からいいようにあしらわれている、と、子供心に勘づいていた。腹を立てて無視をしてみれば、そのまま相手からは触れてこなかったのですぐやめた。だから、どうにかこうにか相手にしてやったり、という顔をさせたい、と、いわゆる「ませた子供」の振る舞いをするようになった……のは、彼だけに起因しているとは思ってないし、思うのも、熊野別当(当時)の嫡男として許せないけど、一因になったのは認めざるを得ない。
楽しかったのだ。自棄になってた部分もあったけど、京をはじめとした外の世界の話を、仏やら薬やらの知らない知識の話を、聞くのが好きだったのだ。
たとえあの、見た目よりずっと荒れた手で「ヒノエは賢い子ですね」と頭を撫でられるのが嬉しかった思いも切り捨てられないほどだったとしても、好きだったのだ。
そう、そうしてただ、「外から来た珍しい客」に「褒められる」ことを、思いの他望んでいたのだ、と気付くようになったのが、ヒノエの努力の結果、彼が、ヒノエとそれなりにまともにつきあってくれるようになってからだった。
と同時に、おそらくそれが恋の起点となるのだ。彼の手のひらの心地よさが、いくつの朝と夜を越えても、繰り返し、繰り返し、夢にまでみてしまうほどのそれが、最初はただの執着だったとしても、恋としてのはじまりなのは、間違いないのだ。
ヒノエはそう信じている。

とはいえ恋に生きる熊野の男として、これだけで終わるなら良かった。彼がそれだけの、ただ、少しだけ人と心の距離を取るだけの人間だったなら、口説き落としてしまえる自信があった。それはあの頃から5年を経て名も改めた今、なお確信を強めている。ヒノエは自分に自負を持っている。
だが相手が悪かった。そんな彼だから恋をしたのだ、という点が、まさに、呪詛としか言えない要因であるのだけど、悪かった。
ただひとり、と、恋情を抱いて気がついた。ヒノエには彼の本心がとんと分からなかったのだ。

もともと分かりにくい人だとは子供心にも思っていた。
まず誰に対しても微笑んでばかりの人だった。にこにこと優しそう、というよりは、小さいヒノエにさえ利発、という印象を与える笑みを浮かべていた人だった。怒ったところはまず見なかった。10にもなればそれが普通じゃないことくらい気がついた。
表情を変えるのはおおよそ彼の兄、つまりヒノエの父の前でくらいだった。父の前では彼は笑うし膨れる。が、やはり、会話を聞いてるとくだらないことばかりで何を言ってるのか、言いたいのか分からない。意味の無い会話を楽しみたい時だってあるだろう。が、度がすぎている、というか、まるで言葉遊びを繰り返しているようにしか、いつしかヒノエには見れなくなっていた。
世の女人に対している姿を見るようになった時、その思いはますます大きくなった。
彼が源氏に与するようになった頃だ。その頃ヒノエも熊野の外へ出向いて見分を広めることに夢中になっていたので、主に、よく京で彼に会った。
そこでの彼は「弁慶先生」だった。熊野での「別当家の親類」である彼とはまた違う、いくらかくだけた姿の彼は、姫君たちによく囲まれていて、実に調子のいいことばかり並べていた。
別に、姫君を口説くことを言及したいのではない。ヒノエだって姫君と言葉を交わすのは好きだし、それは熊野の男の嗜みだ。だが彼とヒノエとでは姿勢のようなもの、が、全く違った。
たとえばヒノエは彼女たちを言葉を交わす事を楽しんでいる。美しいと褒めれば喜ぶ花達の姿を愛おしく思っている。どこか出掛けないかと誘う時はもちろん本気で楽しむためだ。実際に街を巡ることになればそれは有意義な時間になるだろう。誘いを受ける時だってある。その場合も乗る時はのる。駄目な時はきっぱり断る。これが礼儀というものだと思っている。
対して彼は、ヒノエから言わせると不誠実なのだ。まず彼は大抵褒める。それはいい、が、別にただ褒めているだけなのだ。しかも、真剣そうな振る舞いで、じっと眼を見つめてやられたら、彼に懸想している娘でなくたって心がぐらつくものだろう。
もちろん京は都だから、そういうのに手慣れている女人も山ほどいる。それならいい、が、彼は、ヒノエのように誘いたいわけではなく、素で、軽さも含ませず容赦もせずに称えるのだ。傍から見ていて気が気ではない。こんな男に騙されるのは姫君の貴重な時間の無駄でしかないのだから。
その上見ていて更に気がついた。彼が褒めるのは姫君だけではなく、男でも老人でも、おおよそ人というものなら誰でも褒めるのだった。熊野にいた時には気付かなかった…のは、熊野で彼と、ヒノエと、共に邂逅した人間と云うのはたいてい、熊野の民で、つまりヒノエからしたら好感を持っている相手だったので、それがいわゆる「世辞」だと気付かなかったのだ。
だから京で、彼のよくよくまわる口先を見た時のヒノエの心境といったら無かった。
「ねえよ!」とつっかかったら「なにがですか?」としれっと返されて、にっこりといつものように微笑まれて、腹がたって飛び出してしまった程だった。
……理解できる部分は、あるのだ。彼は幼い頃から京の寺育ち。様々な人間に囲まれて生きてきたのだろう。都という土地柄、比叡という名門、どれだけ様々な身分、性格の人間に相まみえる機会があったのか。その中で、相手の気分を良くする、というのは確かに有効だったに違いない。「九郎の軍師」という立場なら尚の事重要だろう。熊野本宮別当の嫡男として育ち、どちらかと云わずとも「上に立つ」立場ゆえに舐められてはいけないヒノエとは違う。飛び出してすぐ、きちんと理解した。
だからその事自体はいい。
問題は、彼があまりにも、当たり前に、誰かれ構わずそういう態度をとっているという事実なのだ。
京の街の患者、学友、貴族、熊野の民、そしてヒノエにさえ。
比較的、認められていると思っていた。どちらかといえば特別扱いされているとも思っていた。
そんな自負が、足元からがらがらと崩れ去った瞬間であった。
それからも、ずっと、ずっと、ずっと、彼のヒノエに対する態度が、街の人へのそれと変わり映えすることはなかった。
ヒノエが熊野に一度戻ってまた京で再会しても、それが田辺や伊勢に移っても。父と共に厳島攻めに出向く直前も。敗北の後に戻ってきても。ヒノエが別当になっても。少しも。むしろ、距離さえ感じて。
それでも想いは募ってゆくばかりで、会いたい、会いたい、会って、知らない笑顔で笑って欲しい、心を揺らして欲しい、と、夜な夜な繰り返す心は、ほら、呪詛としか言いようがなかったのだった。
性質の悪い呪い。
そんなもの、「甥っ子」以上の関心がないあの叔父がかける訳がないと、理由がないと、理屈では分かっていても。
かけてくれるくらい、彼を好むように想ってくれていればいいと願わずにはいられないのだった。

そんな彼を「分かりやすい」と評した男が3人いた。
一人目は父だった。「たしかにあいつはああだけど、目的のために手段は選ばないからな」といつだか笑って言ったそれは確かに同意だった。でもそういうことじゃない。何企んでるのか分からない、と、ヒノエがなおも云い募ると、「お前に害を与えることはねえよ、ほっとけ」で片づけられた。逸れじゃ足りない、と、さすがに実の父に言うだけの勇気は、ヒノエにもなかったので、それ以上聞く事はなかった。
二人目は九郎だった。彼とは10年来の親友だ!と胸を張る彼はなるほど確かに一番近しい人物だった。が、九郎が何をもって彼を「分かりやすい」と云うのか、ヒノエにはさっぱり理解できなかった。その話をした朝だって、まんまと言いくるめられて好物の栗をいくつかかっさらわれていた癖に。指摘すれば「確かにそうだが」と言い淀みつつ、けれど彼も続けるのだった。「それでも、あいつはいいやつで、楽しい時には笑うし、怒るし」と言われてしまえば、結局父と同じ側の人間に聞いた自分が馬鹿だった、と、両手を翳して退散するしかないのであった。

ので、成程そうかもしれない、と、きっかけを抱いたのは、三人目の男、八葉の仲間でもある景時の言を聞いた時だった。
「弁慶? うん確かにまあね、さすが軍師だな読めないな~って思う事たくさんあるけど、でもヒノエくんなら見透かせるんじゃないかな? 案外分かりやすいと思うよ」
叔父より年上の景時は、いつものように飄々と口にしたけれど、ヒノエは顔をしかめてしまう。
「こちとら何年も見て言ってるんだけど」
「はは、そうだよね。けど俺も、なんだかんだここ2年くらい同じ街を本拠にしてるし、今でこそこんなだけど、元は仕事仲間だからね。随分観察させてもらった成果かな?」
観察。とは物騒な。と、若いヒノエは思ったけど、よくよく考えれば自分も大差ない事をしている、と、気がついたのでそのまま質問を返す。
「自信ありそうだね?」
「まー。九郎ほどじゃないとは思うけど。って、お客さんかな」
声にそちらを見れば、ちょうど梶原屋敷の入り口で、弁慶とどこぞの姫君が話をしている。口笛吹いてやりたくなったけど、その前に景時が指を立ててヒノエを制した。
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もうちょい手直し入れると思うけど公開してみるいちおうなおしてみた


 雪かさが減り、渡り鳥が空高くを飛ぶ頻度があがる頃に旅立って行く頃になると、次の季節が南風に押し上げられ訪れる。
 春の始まり。北の民が待ちわびる季節。まだ元服も済ませたばかりの頃から、偏屈だの情が無いだの、周りから散々言われる(そしてそれを気にもかけていない)泰衡でさえ、心待ちにする季節だ。それはもう奥州の民の摂理であり宿命なのだ。全てが息吐き動きだす季節。冬の留まりを知るからこそ春の尊さを敬うのだ。
 だが。泰衡が10代半ばであったある年。その年の風は厄介事まで連れてきたのであった。
 それは、名を源九郎義経と云った。泰衡の父に縁のあるという、源氏の御曹司。その男が、花にが色をつけ広がっていくのを追う獣かなにかのように京から訪れたのであった。
 九郎義経。追々、彼によって望む望まないより先に、人生も運命も、あるいは性格さえも決定づけられてしまう泰衡からすれば、「厄介」以外にいいようのない相手だ。それでも「都から源氏の御曹司が来た」と最初に耳にした当初に抱いた感情は……、抹消したい記憶なので口に出したことすればいが、実は、それなりに純粋な「期待」だった。 落ちぶれたとはいえ、高名な武家の子供。しかも都住まいだというのだ、それなりの知識や振る舞い、資質をもっているのだろうかとか、ならば自分が鼻をへし折ってやろうとか、そんな風に思ったりしていたのに、
対面してみたら。
 初対面からして、だった。父を介して顔を合わせた泰衡の前で、彼は必要以上に緊張してがちがちだった。足をかければ簡単に転びそうなほどに強張った歩き方をしていて、これがかの源氏の御曹司なのかと目を疑った。
 泰衡がいよいよ顔を顰めたのはその後だった。こんな調子だったというのに、ひとたび名を名乗りかわした、それだけで彼の様子は一変したのだ。急に顔に感情を乗せる事を躊躇わなくなって、言葉使いも多少とはいえ震えが取れ、遠慮も消え失せ…と云えどもさすがに無礼であったというわけではなく、つまりは馴れ馴れしかった。余程、父の郎党の子供の方がきちんとしている、と思ってしまうほどのその御曹司の印象は、ああ成程、父が好きそうだ、という言葉に集約されるそのままで、そして実際その通りであり、
つまるところ、泰衡からすれば苛立つばかりの人間であったのだ。

 そうして可愛い御曹司と自分の息子を、父はしばしば並び立たせようとしていた。比較させて互いに励めよ、とでも言いたかったのかもしれないが、御曹司と自分とではあまりに性質が離れすぎていたし父もそれを分かっていたのだから、父は深く考えてはいなかったのだろう。泰衡からみてもそういう人間であったのだ。
 そして泰衡はそれを厭んだ。もちろん、時間が経つと同時に少しずつ零れ始めた、彼の『御曹司』たる性質と並び比べられたくなどなかった、などという理由ではなく、面倒だったのだ、あの二人に関わる事が根本的に。だがらそれを臆面もなく態度に出していたと言うのに、父は笑って取り合わず、御曹司など、まさに鬱陶しいほどにじゃれついてくるものだから、ますます面倒になった。元々気が長い方ではないと自覚していたが、彼が来てから更に悪化した。ああ、悪化したのだ。あれのせいで。それはもう違えようがなく。故に、御曹司殿にお前はいつも細かすぎると云われる度に貴様が云うかと睨みを利かせるのは恨みではなく、当然の感情だったのだ。
 
 他にも数え切れぬ要素と共に、九郎が来てから泰衡の生活はがらりと様を変えた。のだが、本当のところ、九郎は泰衡の眉間のしわを増やしはしたものの、頭痛の種にはならなかった。父で慣れていたし、なにより、彼の主張は、同意するしないは別として、常に分かりやすくはあり、御しやすくもあった。
 だから、当時、南からやってきた厄介事く……邪魔だとすら、心の底から疎んでいたのは、彼の隣にいた自称薬師の少し年上の男の方であったのだ。

 弁慶、と九郎が笑顔で呼びかける彼は、やはり笑顔で九郎に接していて、また、泰衡をはじめ平泉の民にも最初の最初から実に穏やか振る舞いで接していたものの、泰衡からすればどうみても、最初から、本当の最初から胡散臭かった。警戒を隠せない程度には、明らかに癖のある空気を纏っていたのだ。
 そして九郎に対しても初対面の印象が泰衡の中で覆らなかったように、弁慶に対してもまた、変わる事は一切なかった。
 とはいえ泰衡も奥州平泉を統べる藤原家の嫡男。そういった類の人間に無縁なわけではない。ので、そういった人物像を嫌悪していたというわけでもない。が、弁慶の場合はただ、あの馬鹿正直な九郎が素直に慕っている、というその事実が胡散臭さや不気味さに拍車をかけている、と、泰衡には映っていた。
 常に丁寧な物腰と笑顔で、けれど頭の中では常に違う事を考えていますよーという風を隠しもしない。そしてそれを気づかぬ御曹司。疑いもしない。手玉に取られているのでは、とすら思わざるを得ない。そしてそれを正そうともしない自称薬師。
 当然に相容れぬと思った。道で、屋敷ですれ違えば皮肉を飛ばし鼻で笑ったりした。ただし、それも最初だけ。弁慶はまともに取り合いもしなかったのだ。実に賢い男だった。口先でひらりとかわしそうして的確に泰衡の怒りを誘ってばかりいた。僕をからかうのはいいけれど、ただで済むと思わないでくださいね、なんて、瞳に言葉を乗せて。それに負けたわけじゃないけれど……、当時の自分では、彼の顔をゆがませるのは到底無理だと早急に悟った泰衡は、次第に彼と距離を置くようにした。せざるを得なかった。
 自分が劣っているとこんなにはっきりと、腹正しくも思ったのは久方ぶりであったのだから。


 そんな風に過ごしつつ、季節は巡り、最初の夏が過ぎた頃合いだった。
 その日、泰衡は父の使いで、九郎の住まう高館の邸を訪れた。
 入り口で声をかけた。が、誰の返事もない。
 相手が相手だし、待とうという選択肢すら思い浮かべず、泰衡は勝手にあがりこみ、もう一度九郎の名を呼んだが、やはり誰の返事もなかった。
 そのまま勝手知ったる家の中をぐるぐる巡る。というほど広い家ではなかったから、すぐに突き当たった。しかし誰もいない。出なおすか、と、泰衡は息を吐き、手にしていた筒状の書状を乱暴に手で叩いた。
 その矢先。丁度立っていた、一番奥の間のその隣から、ごとごとと音がしたのだ。
 野党だろうか?という考えは一瞬頭を過った。ここに『御曹司』が住んでることは皆が知っている。物取りが入ってもおかしくはない。
 武術に長けているとは言えない己を鑑みて、泰衡は一瞬、迷った。けれどそれは本当に一瞬。すっと忍びより、小太刀を抜き、左手で一気に隣室へ続く戸を横に引いた。
「何者だ!」
「っ!?」
 そのまま小太刀を突き出したが、中にいた人物も息を飲み飛びのいた。早い。見事な動きだ。
 が、驚いたのは泰衡も同じだった。ごとり、と、手に持っていた書簡を落とした。
「……ふう、泰衡殿でしたか。脅かさないでくださいよ」
「…………あ、ああ」
「泰衡殿?」
 弁慶が首を傾げた気配がした。が、泰衡は、空返事しか返せなかった。
 普段だったら、『声はかけたのに返事をしない貴様が悪い』くらい平然と言ってのける泰衡が、驚き戸惑っている様に、中にいた弁慶も、きっと似たように戸惑っている。
 泰衡からしたって不覚だった。それでも。
 目の前の、弁慶の背後の光景に言葉を失わざるを得なかったのだ。
 床の上は一面、紙、紙、紙。部屋の隅にはなにやら怪しげな仏像やら巻物が転がっていて。
 言うなれば、賊にでも入られたかのような惨状。が、もちろん泰衡はその散々とした光景に驚いていた訳ではない。
 量に圧倒されたのだ。
「……ああ、これですか? 僕、もともとこういうものが好きなんですよ。平泉にも興味深い本がたくさんあるので、つい集めだしたら止まらなくて」
「これは最早そういう問題ではないだろう!」
 半年だ。たった半年でこれだけ集めるとか、確実に常軌を逸している!
 何でもなく言った弁慶に泰衡は思わず叫んだが、やはりふふふと弁慶は笑みを崩さなかった。
「なんだか九郎みたいな言い方しますね、泰衡殿」
「…………」
 それにますます眉を吊りあげた。……が、不本意ながら、この時ばかりは九郎の気持ちに同調していたと、口には出さなかったけれど認めた。
 認めつつ、口論などするだけ無駄だ、と、すっかり知っていた泰衡は、彼に構うかわりに、足元に落ちていたひとつをおもむろに手に取った。
「ああ、それは、京の陰陽師が50年前に記した呪術について書かれたものなんです」
 するりともたらされた解説。もちろん映しですけれどね、と、告げたその声はどことなく上気しているような気がしたが、一瞥だけして泰衡は書に目を落とした。
 見た事が無いものが広がっていた。不可思議な図形、耳慣れない言葉の羅列、知らない単語……それは、全く知らなかったものばかり。
 一目で興味が湧いてしまった。ぱらぱらとめくってしまった。
「興味あるのでしたら、本をお貸ししますよ」
 そして没頭してしまった、と気がついたのは、いつもと変わらぬ口調で言われた時だった。それにさえ素直に顔をあげてしまって、やってしまった、と思ったのも後のまつり。その上、常ならば胡散臭いと一蹴する彼の唇が弧を描く様から目を逸らせなかった……それでも、必死の想いで泰衡は首を横に振った。
「いや、不要だ」
「別に何か企んでいるわけではないですよ。御館だけでなく、貴方にも世話になっている身です。そのお礼、ですよ」
「それはいつか九郎に貰うから構わん」
「そうですか。泰衡殿がそんなに気が長いとは、知りませんでした」
「今から覚えておけ」
「遠慮深いとも思っていなかったんだけどな」
「遠慮ではない」
「では照れですか?」
 ふふ、と笑う弁慶を、泰衡はすっかりいつもの調子で睨んだ。それで怯むどころか楽しそうに笑うばかりの弁慶だったので、泰衡はいよいよ眉間にしわを寄せつつ、手に持っていた書物と共に、父の書簡をぐい、と押しつけた。
「これを九郎に渡しておけ。俺は帰る」
「残念ですね」
 踵を返した泰衡に、弁慶は一瞬、心底残念そうな声をかけた。が、どうせ演技だっただろう。
「いつでも来てくださいねー!」
 と、次にかけられた言葉は随分と朗らかで、ああ、腹立たしいものであったのだ。
(その手には乗らぬ!)
 ここで貸しを作るのは得策ではない。泰衡はそう疑っていなかった。

 故に、それらへの興味が失せたという訳ではなく。
 高館の邸を出た泰衡は、その足で街へ行き、早速そのような品を探し歩いた。
 弁慶が散々集めきった後だからか、思ったほど入手できなかったが、それでも余所者ではない『泰衡』だからこそ手に入れられるものもあり、まず納得できる程度の量はすぐに集まった。
 泰衡は没頭した。新たな世界は、それこそあの黒衣の薬師が実に好みそうな、場合によっては禍々しいともされそうな知識は、簡単に泰衡を魅了した。呪術、龍脈、陰陽術。それらは彼の地を豊かにするのに必要なものだった。利用しない手はなかった。
 それ以前に、御曹司が夢中になっている剣術などより、泰衡にとっては余程楽しい、と、思えるものだったのだ。
 最初は手ごわかった。が、理解してゆくうちに、更なる知識を欲し、また文献を探し……簡単に夢中になっていた。


 それから更に半年ほど後だったろうか、父の使いで高館に赴いた折、また九郎が不在で弁慶が一人きりだった時があった。とっとと用を済まし去ろうとした泰衡に、随分とにこやかに弁慶は話かけられた。「そうそう」と、引き止めるような言葉を聞いた瞬間から厭な予感しかしなかった。
「お聞きしましたよ」
「何をだ」
「陰陽にまつわる文献を、随分と読んでおられるそうですね」
「お前には関係ない」
 一体どこから聞いたのか。泰衡は眉を思いきり顰めた。が、あれだけ派手に動いていれば、弁慶が何も探らずともつつぬけだったであろう、と思いなおし、簡潔に返すにとどまった。
 が、突っぱねた泰衡に、あんまりな事を弁慶は言った。
「関係ない、って、酷いですね。僕、泰衡殿の師匠じゃないですか」
 それは泰衡の目を見開かせるには当然、十分だった。
「……は? 師匠、だと? 誰が!」
「ふふ、そんな風に意地張らなくても、僕の部屋のものだったら、自由に読んでくださって構わないですよ。君にこの世界を教えてしまった師匠ですからね」
「……何が言いたい」
「何って、最初から言っているじゃないですか。好きに読んでくださって構わないです、と」
「…………何を企んでいるのかと聞いている。そもそも、あれくらいで師匠面するのか、貴様は」
「企んでなんかいないですよ。……そこで疑われるとは思わなかったですね。何も無いです。同じ趣味の仲間が増えるのはいつだって嬉しいものです。特に九郎には顔をしかめられてばかりですから。なのでまあ……、ついでに師匠って名乗ってみてもいいかなと」
「冗談じゃない!」
 あまりの言いがかりに、最早泰衡は声を張り上げるしかなかった。よりにもよってこの腹黒にそんなことを言われたならば、否定しなければ何が起こるか分かったものではなかった。
「貴様の手柄にするな。いいか、俺と、お前は、関係ない!」
「泰衡殿からしたらそうかもしれないですけど、僕からしたら、恩人なのだけどな」
「……俺が保護しているのはお前じゃなく九郎だ」
「それはそうですけど……うーん、泰衡殿も本当に頑なですね。じゃあ仕方ないですから、そういうことにして差し上げます」
「どういうことだ」
 どんどん話がずれてきている。だからこいつは嫌なのだとこめかみを押さえてしまった泰衡に対し、弁慶は変わらずにこやかに、上等の笑みを浮かべていて、それを見ているだけで泰衡の怒りは更に増していくようで。
「とにかく、この件に関して、俺は貴様とは一切の無関係だ。頼る気もないし、慣れ合う気もない。以上だ」
「つれないですね。いいじゃないですか、学友。僕あまりそういうのに縁がなかったので、憧れだったんですよ」
 ふう、と息吐く姿に、もしかしてこれは、彼のものと引き換えに泰衡の所蔵を見せて欲しいだけなのではないだろうか、ともちらりと思った。それは、別に、構わなかった。が、師弟だとか恩人だとか言われてしまえば、申し出る気すら起きなかった。
「九郎に期待するんだな」
「そうですか、では伝えておきます、泰衡殿が九郎と剣の稽古をしたがっていたと」
「…………」
 誰が、この男と仲良く机を並べたいと思うのか。
 少なくとも、九郎との剣術稽古と天秤にかける程度には、泰衡は御免であった。
 もちろんどちらも選ばなかった。



 とはいえ。
 弁慶と言う男はそもそも、頭は悪くない。けして。落ちぶれた源氏の御曹司の友人として、平泉でただ呑気に生きてゆくにはいささか勿体ないと、口には断じて出さないが思っていた。
 その彼が、どうして、世話になっている泰衡……しかも奥州藤原家の嫡男である自分を、弟子扱いし、怒らせたのか……。それは本当ならば、深く考えるべきところであった。
 からかうにしたって、彼と泰衡の関係、性格を思えば、あれは随分と踏み込んだ態度であったのだ。きっと意図があった。その答えを導くことはできずとも、探りをいれてみれば、あるいは、素直に『弟子入り』してみればよかったのだろうか……。
 と、ふと想いを馳せるようになったのは、薬師が九郎と共に、数多の文献を置き去りに、源氏の戦場へと赴いた数年後、平家が都落ちしたとの報を聞いてから幾らか経った頃だった。
 どうやら京が龍の神の加護を失ったらしい、と、平家が没落したのはそのせいではないか、と、極秘裏に、父も知らぬだろう噂を耳にした時、何故だかふと、高館の邸で静かに物を読んでいた弁慶の姿を思い出したのだ。

 泰衡は高館へ向かった。
 そして彼の残したものを、次々と手に取り目を通した。
 あり得ない話ではないと、それらは雄弁に語っていた。
 龍脈に関わる呪詛についてのものが、あまりにも多く、偏り過ぎていた。


 もしかしたら。
 人の範疇として『正しくない』呪法を彼が施したと云うのならば、彼は、敢えて泰衡を怒らせて、遠ざけ、自分のやろうとしていることを悟られぬように、暴かれ騒がれ邪魔され足を引かれぬようにしていたのではないか、と、考えるのは、穿ちすぎかもしれないけれど、
……どうしてか、あり得ない話ではないのではないかと、浮かぶあの胡散臭い笑みと共に、思ってしまったのだった。
…………あるいは。





 数年後。
 九郎が平泉へと再びやってきた。
 兄出陣の報を受けて飛んで行ってしまった時が今生の別れとは思っていなかったが、再会する時は平泉ではないだろうと思っていた。京か、あるいは坂東で、揺るぎない地位を手に入れた彼へ祝いの品を持ち参上することになるのだろうと、思っていた。
 ……少なくとも、こんな形になるとは、いくら泰衡でも思っていなかったのだ。

 父に迎え入れられた九郎は、流石に気落ちしている様子だったが、終始懐かしそうにあちこちを見て回っていた。郷愁。平泉を離れた事のない泰衡には持ち得ない感情だったが、推測するのは容易かった。泰衡もまた、彼にそういった感情を抱いていたからかもしれない。
 九郎は変わっていなかった。相変わらずに泰衡とは相容れぬ存在であった。その分、過去の彼が持ち得なかった濁りや陰のようなものが浮かび上がる。同情は無かった。多少清々したところもあった。何より。隠しもしない、できない彼に、否応なしに時の流れを感じた。
 そして、相も変わらず彼と共に来た弁慶も……矢張り、過去とは違う風に見えたのは、あの京に纏わる噂を聞いてしまったせいかもしれないが、当然に張り付けた笑みの裏に、泰衡でさえも見て取れる疲れを滲ませているようで。
(くだらない)
 心に浮かんだ生ぬるい、腑抜けた感情のかわりに、ふん、と、鼻を鳴らして彼らを迎え入れた。


 なので、彼らと、特に弁慶と慣れ合う気などなかった泰衡は、昔話に花を咲かせる真似など一切しなかった。僕として銀をつけておくだけで、自身は偶然すれ違う以外では顔も合わせぬようにしていた程だった。
 というのに。数日後、あっさりと、彼らが南へ発った後もずっと呪術に纏わる物を集めていたことを知られてしまった。
 丁度、僧たちに持って来させたところに鉢合わせてしまったのだ。しかも、多量の巻物を持った僧に先に会ったのは九郎達。これはなんだとどうせ他意も無く聞いた九郎に、これまた他意なく中身を申告されてしまえば、誤魔化しようは無く、泰衡がその場へ着いたと同時にそれぞれの反応を寄越した二人に応対できなかった。
「泰衡……相変わらず書物が好きなのか。剣の腕はどうなんだ?あまり鍛えてなさそうに見えるが」
「貴様達には、関係ない」
 言葉とは裏腹にへらへらと笑みすら浮かべてる九郎を笑い飛ばす。そうとしか返せなかった。
「そういう言い方はないだろう。俺は事実を伝えただけだ!」
「ああ、俺も事実を伝えただけだ」
「泰衡!」
 そして会話を打ち切るようにきっぱりと返せど、九郎は相変わらずに噛みついてくる。全く、これでよく源氏の兵を率いあの平家を打ち滅ぼせたのかいっそ疑問だ、と、付け加えてやろうと思ったが、どうにも隣の黒衣の軍師が気になって、泰衡はちらりと一瞬だけ目を向ける。と、弁慶もまた、泰衡と似たような事でも思っていそうな顔を浮かべていた。
 ……忌々しい、何もかも。とっとと切り上げるべく、本を持ってきた僧へ「下がれ」と短く命じ、泰衡も無言で踵を返そうとした。が、空気を読まずに黒衣の薬師が泰衡殿、と、呼ぶものだから適わない。舌打ちをしつつ立ち止まる。弁慶は静かに、だが厭らしい笑みを浮かべていた。
「そんな風に九郎や僧侶殿に八つ当たりする姿、本当に変わっていませんね、泰衡殿」
「……喧嘩を売っておられるのか軍師殿は」
「まさか。もう少し話をしたいだけですよ」
「俺は話す事は無い」
 一体、自分が、この男と何を、一体何を会話するというのだ、九郎ならともかく!
 その想いは揺るぎない、絶対だ。故に構わずに立ち去ろうとした泰衡に、弁慶は更に追い打ちをかけて。
「つれないな。僕は君の師匠みたいなものだってずっと言っているのに」
 ぴき、と、眉が吊りあがる。これを危惧していたと言うのに、まんまと相手に釣られた。そんな自覚はあれども泰衡は言い返してしまった。
「……まだ寝言を言っているのか、まだ」
「寝言って、事実でしょう?」
「ああ、そういえばそんな話をしてたなべんけ」
「事実なわけあるか!!」
 ぴしゃり、と言えば、帰りはぐっていた僧がびくりと大げさに肩を揺らし、今度こそそそくさと後ずさりしていった。ならば遠慮ももう不要だろう。泰衡は思いきり息を吐く。
「いいか、師匠というなら、直接、この俺に、講義してこその、師ではないのか!」
「それを断られたのは貴方じゃないですか。でも、きっかけは僕でしょう?」
「貴様に貰わなくとも、早かれ遅かれこうなっていた」
「……そうですか?」
 にやにや、と、弁慶は趣味の悪い笑みを浮かべる。泰衡は目を更に細める。舌打ちすら出ない。
 ……ああ、成程、気がついてしまったのだ。
「本当に、それだけ、ですか? だったらたしかに、僕は師とは呼べないかもしれないな」
「……他に何があるというんだ、馬鹿馬鹿しい」
 とはいえ実際、彼がいなくなった後、彼の集めた書物を、無断で読んだりもした……ので、本当のところ全否定はできない、が、その程度で認めるなどあり得ないし、そもそも、譲歩はできない。けして。
 もちろん、それで引き下がる弁慶でもない。
「では、分かりました。改めてお願いしましょうか」
 そして、随分と真摯な顔で、男にしては大きい瞳をまっすぐに泰衡に向けながら、躊躇いを含みながら口にした。
「あなたの蔵書は、最早この平泉で群を抜いて素晴らしいものだと、ここに来て間もない僕ですが、聞きました。そういうものを知りたいなら、泰衡殿にあたるのが一番早く、確実だと。……ですから、どうか僕にも見せてもらえませんか?同士として」
 同士、と、いう部分をやけにはっきりと、弁慶は言った。彼が、泰衡に言うのはあまりにも、あまりに生ぬるいその単語を。あからさまに裏のある師弟という呼び名よりずっと、らしくない。
「……そんなことで俺が動くと思うのか?」
「では僕こそ弟子入りします、とでも言えばいいですか?」
「そんな気味悪いことこっちが願い下げだ」
 ……彼の本心は、自分の知識を増やしたいとか、ましてや親交を結ぼうなどというものでもない。仮にそうだとしても頷きはしないと分かっている泰衡に、何故素直に問うのか分からない。
……どのみち、頷く事はない。特に今は。
 邪魔されたら終わりなのだ。
 かつての彼とは違う。自分はこの平泉を統べるべきものなのだ。
 と、きっぱりと断っているのに、厄介なことに隣の九郎まで口を挟んできた。
「俺からも頼む、泰衡。……お前が何を調べているのか知らないが、お前と弁慶が知恵を出し合えば、良い方に働くに決まってる。拾ってもらった身として差し出がましいのは承知だが…いや、むしろだからこそ、お前と協力したい、泰衡!」
 九郎は単純だ。が、言い出すと聞かない。泰衡だけでなく父も止めたのに、南へ行ってしまったほどに。
 しかし単純だ。泰衡が敵に回る可能性をちっとも考えていない。
「……ふ、月日は流れた」
 実際、泰衡は彼らを売るつもりは毛頭なかったが、
「一度は平泉から出て行った貴様を、全面的に信用すると思っているのか御曹司?」
手を取り合って倒すつもりも無いというのに。
 九郎は刹那、動揺を見せた。が、すぐに再びきりりと唇を引き結ぶ。
「……心配しなくても、俺にはもう敵しかいない。お前たちを裏切りようが無い。それに、対立している場合ではないだろう」
「それはそうだ。平家を打ち破った力、期待しているぞ」
「だったら!」
「指図は受けん」
「泰衡!」
 その声さえも、昔よりずっと重さがある。場の空気を変えてしまうようだった。が、もちろん泰衡が動かされることはない。
「なに、そのうち貴様の知恵を借りることもあるだろう、軍師殿」
 そう、計画を実行に映す直前くらいには譲歩を見せてやってもいい。邪魔されなければそれでいいのだ。
 九郎から弁慶へと視線を動かし、そうとだけ言って、今度こそ泰衡は踵を返す。

 ふわり、と、風が通り抜けた。変わらぬ筈の風は、すっかりと温度を変えてしまった。懐かしさばかりを運んでくる。遠く、遠く離れた地での彼らの活躍を、行く末を、伝令と共に運んでくる風。冬の寒きを刹那和らげる南からの風。



 対立する気など有る筈が無い。ただ、泰衡も守りたいだけなのだから。
 そして。









 全てが終わった後。
 崩れ落ち社の柱にもたれるしかできなかった泰衡に、弁慶が言った。
「きみはばかだ」
 逆光だったというのにくっきりと、感傷に溢れた表情が見えたのは、もしかしたら思い違いかもしれない。
「あれだけ僕と同門など御免だと言っておきながら……どうして、結局、同じ道を選んでしまったんですか」
 僕のとった方法について、噂くらいは聞いていたのでしょう? と、責める男に、言い返す気力などとうに尽き果てていた泰衡は、静かに見上ながら、ああ、やはり、それで正しかったのか、と曖昧な脳裏で認識した。
「……知っていた」
 龍脈を留めるなどと云う大それたこと、弁慶ならば当然の顔してやりかねないと思った。だから、それを知られ邪魔しないように煽っていたのだと思った。
 ……泰衡が、泰衡ならば陰陽術をこのように使う事に気付くだろうと察していた弁慶が、その道を辿らせぬように遠ざけたのだとも、知っていた。
 残された巻物を眺めていれば想像に容易かったのだ、あまりにも。
 それでも。
「…………知っていたさ」
 噂ですが、と、京から来た物売りから聞いてしまった時。ああ、成程、と、呪術で人を傷つける、という可能性について、得心してしまったのだ。
 それは彼への共感だとか、憧憬だとか、反発対抗心とか、ましてや赦されるように思えたとか、そんな言語化できるようなものではなく、有象無象を含め、まるで宿命だ、とでも、感じてしまったのだ。
 故に南から救いを求める書状が来た時、泰衡は迷わずこの手段を選びとった。
 知っていたのだ。ただ簡潔に九郎と神子を救ってほしいという用件のみ書かれた、罠の可能性も大いにあった文面だったというのに、彼らを受け入れた……それは、九郎だけでなく、この性根の捻くれた厄介な男の根底が善であることなどとうに知っていたから。
 平泉に戻って来るなり泰衡の企みを探ろうとしたことも、彼なりに心配…などという生ぬるい感情ゆえの、まどろこっこしい手段であったのであろう事もも。
 知っていた。少なくとも九郎よりは、正しく。だが、親切に説明する気など、更々ない泰衡は、雪に跳ね返された光の眩しさに、目を細める。
 少し疲れた。息を落とすと、弁慶は繰り返した。
「……きみはばかだ」
 その言葉はまるで、愛すべき長年の友人か何かに向けたような柔らかさを帯びていて。
「……黙れ」
 この期に及んで、この黒い男に同意せざるを得ない状況に、顔を背けずにはいられなかった。



サイト開いた頃に下書きしたまま放置してたやつ
当初はもっと「師匠って呼べ!」って部分強めの、訳の分からぬギャグ話であった
読み直したら何が面白いのか意味わからなかった、けどだからこそずっと放置されていたのだろうと思った

泰衡さま視点だと弁慶を容赦なく罵れて楽しかったです
この三人が好きです
九郎は弁慶が生まれた日がいつなのか知っていた。
 でも、それを祝ったことはなかった。
 特別に祝おうと思ったことも無かった。風習もなかった。
 だがある日、誕生日を祝うということもいいかもしれない、と、はじめて思った。
 それは異世界からやってきたという神子が、共にやってきた譲に祝いの品を贈られているのを皆と目にした時のことだった。
「あれは、何をしているんだ?」
 とはいえ、心なしか真剣な顔で、神子に何かを渡していた彼の姿を見ても、九郎からすれば特別な催し事の最中には感じられなかった。だから、普通に声をかけようと部屋に足を踏み入れようとしたところを、後ろから弁慶に引っ張られた。
「九郎」
「なんだ?」
「見て分かりませんか?」
「何がだ?」
「譲殿、もしかして望美のこと……そう、そうだったのね」
「ますます分からん」
 と、意味ありげな微笑みで咎めた弁慶や、何故か嬉しそうに目を輝かせた朔の言っていた意味も、結果的には勘違いだったに違いない。
 すべては白龍が、構わずに望美や譲に近づいて話しかけたから判明したのだった。
「譲、神子に贈りもの?」
「えっ、白龍!?」
「うん、そうだよ」
 声をかけられ、譲は慌てふためき望美は笑顔で頷いた。
「今日は私の誕生日なの」
「たんじょうび?」
「生まれた日のことだよ。私たちの世界にはね、その日にお誕生日おめでとうってお祝いする風習があるんだよ」
「こんな風にプレゼント……贈り物を贈ったり、あとは、宴を開いたり」
「そうだったの」
 それを聞いた朔は言った。
「生誕の日をおめでとうと祝うなんて、素敵な習慣ね」
 景時もその気になった。
「じゃあオレたちもお祝いしようよ~」
 そして、急ごしらえの宴が開かれた。
 だが、源氏は京に入ったばかりの頃。九郎だけでなく町の民も混乱をきたしていたし、怨霊も蔓延っているのだから、宴など開いている場合か、と、九郎は思った。この世界に来てすぐの神子と、九郎はまだ親しくはなくて、祝いたいなどと思いすらしなかったから尚更だった。
 でも実際に宴がはじまってみれば、嬉しそうに頬を赤く染めている望美や、彼女を囲む朔や譲、白龍、他の仲間たちの楽しそうな姿は悪くないものだった。
 そして、思ったのだ。
「なるほど、こうして改めて、相手がそこにいることに感謝するのも、いいことだな。俺もやってみるか」
 と、そんな気になった。
 だというのに、その呟きを聞いたヒノエが言った。
「へえ、あんたも案外計算高いんだね。もっと初心だと思ってたけど」
 それに九郎は眉をひそめた。
「計算? 何がだ? 俺はただ、こういうときに日頃の礼を言うのも悪くないと思っただけだ」
「で、今は仏頂面しておいて、後でこそこそ何か渡そうっていうんだろ?」
「それのなにが悪いんだ?」
「悪くないさ。だから、興味なさそうなあんたもそうやって好感度あげようとするもんなんだね、って話をしてるだけじゃん」
「好感度? なんだそれは。なんで俺があいつのそんなものを上げなきゃいけないんだ。意味が分からん」
「まだ言うのかよ。なんだっけ、そういうのツンデレって神子姫様が言ってたっけ? 普段冷たい奴が優しくしてくれるとほろっとくるとか? でもオレ、そういうの嫌いなんだよね。姫君には普段から優しく接するものだよ」
「つん…なんだ??」
「望美と仲良くなりたいならとっとと努力を認めればっていってんの。あんなん時間の無駄じゃん」
「望美? 努力? もしかして花断ちの話か? だったらそれは今関係ないだろう」
「あーはいはい、もういいよ」
 と、一方的に飄々と言われて、九郎はむっとした。最近加わったばかりのヒノエとはどうにも馬が合わない。
 向こうもそう感じたんだろう。はらはらと手を振って望美の傍まで戻っていった。
(計算高い? 俺が?)
 望美に調子のいい事を言っているのはヒノエの方じゃないか、としか九郎には見えなかったし、
なんで望美が出てくるのかも意味が分からなかった。
(友人の誕生日を祝うのは、駄目なのか?)
 感謝を伝えたい、と、何気なく思っただけだった。
 日頃から世話になっている弁慶に、来月の彼の誕生日を祝ってみよう、と思っただけだった。なのに、そんな風に罵られるなんて思っていなかった。それこそ、譲が望美を祝いたいと思いこうして宴を開いたのと、自分のそれとは変わらないつもりだったのに。
 でも。望美の両隣で笑ってる譲とヒノエを見て、九郎はふと思った。
 もしかして……九郎が判っていないだけで、なにか、自分はとても卑怯な真似をしようとしているのではないか?
 ならば、源氏の総大将として、兄の代行として今京にいる身として、なにより九郎自身の性格が、そんな真似をすることを断じてを許さなかった。
 ヒノエにまたあんな風に言われたのだって腹立たしかった。
(……だったら、何もしない! それでいいんだろう!?)
 どうせ自分の代わりに誰かが正当に祝うのだろう。ますます構わない、と、思った。



 けれど。
 弁慶の誕生日を皆は知らない、という事を九郎は忘れていた。
 すっかりと忘れていた。
 当日に、後白河院に呼ばれ、つらつらと、意味の分からない、弁慶への土産話にもなるか分からない宋の流行の話を聞かされている途中で思い出した。
(どうしよう!)
 去年までそんなもの祝ったことすらないし、祝おうとも思ったこともなかった。なのに九郎はなんだか、とてもひどい仕打ちを友にしてしまったような罪悪感を覚えた。
 しかも、院はこういう時に限って九郎を手放してはくれず、戻った時にはすっかりと夜が更けていた。
 九郎は走って六条堀川の舘へ向かった。けれど途中でふとなんとなく、景時の家へ足を向けた。
 機転が功を奏した。宴会が開かれていて、弁慶もそこにいた。
(こんな時に何故宴? まさか、これは弁慶の『誕生日会』なのか?)
 と、九郎がきょろきょろと一同を見回す間も無く、望美が笑顔で九郎を呼んだ。
「九郎さん! 遅かったですね。お仕事お疲れ様です」
「それよりこれは、」
「ああ、弁慶さんの誕生日が今日ってヒノエくんから聞いたんで、お祝いしてるんですよ」
「え、あ、そうなのか?」
 そういえば、弁慶とヒノエは昔からの顔見知りの様子だった。
(俺以外にも知っている人間がいたのか)
「えっ、もしかして、九郎さん知らなかったんですか?」
「いや違う、うるさい! ……なんだ、心配して損した!」
「そんなに怒らなくたっていいじゃないですか!」
「望美、今日はおめでたい席なんだから、そんなに声を荒げたら駄目よ。九郎さんも座ってください。譲殿の料理がたくさんありますから」
 そうこうしているうちに、朔になだめられて、九郎も宴の末席に加わった。
「九郎、来てくれてよかったよ。急に決まったことだったからね~。あ、はい、まずは飲んでよね」
「ああ、ありがとう」
 座るなり、隣にいた景時が酒を勧めてくれた。ちらりと口をつけてはみたけれど、なんだか飲む気になれなかった。
「あれ、疲れてるのかな」
「そうかもしれん」
 代わりにちらり、と、弁慶を見た。彼は皆に囲まれて譲の不思議な料理を食べながら微笑んでいた。
 それに安堵した。
 けれど同時になんだか、どっと疲れが出た。
(そうだ……そうだよな)
 九郎が気に留める必要がなかったくらいに弁慶は楽しそうだった。そりゃそうだ。優しい彼は八葉たちに慕われている。皆がおめでとうを彼に言って祝っていた。それは良いことだ。親友が皆に慕われているのは九郎だって嬉しい。
 でもだからこそ、あんなに慌てて、逃げるように院のところから帰ってきたのが馬鹿馬鹿しいように思えてしまった。そちらでも宴を開くと言っていた。九郎も声をかけられていた。出ていれば、兄の役に立てたかもしれない、と、そんなことも思ってしまった。
 ちくり、と痛んだ胸に蓋をするように視線を戻し、譲の作ったという食事に箸をつけてみた。美味かった。でもやはり、箸がすすまなかった。
「……」
 もう一度、九郎は弁慶を見た。遠くに見えた。自分がひどく場違いな気がした。そして。
「……帰ろう」
 と、思った。
 皆に気付かれないように、宴の盛り上がりを邪魔しないように、九郎はこっそりと部屋を抜け出し、景時の邸を後にした。
(こんな気持ちで祝いなどできるわけがない……)
 冬の夜風が殊更冷たく感じた。


 とはいえすぐに寝付けなくて、九郎は六条堀川で火にあたりながら一人で酒を飲んでいた。
 先程の景時の家や、院のところの賑やかさもあって、一層寂しいような心地になっていた。
(これはますます寝付けそうな気がしない)
 思いつつ、九郎はどんどんと酒をあおったけれど、酔いなどちっともまわらず、ましてや眠気など訪れることもなく。
(できればあいつと顔を合わせるより先に寝てしまいたいのに)
 味も分からずに九郎はぐいぐいと飲み続けた。
 その間延々と、先程の景時の家での様子が頭から離れなかった。
 皆楽しそうだった。弁慶も穏やかに微笑んでいた。いい眺めだった。いい宴だった。なのに祝えなかった自分が、院と仲間たちを天秤にかけてしまった心が、それらすべての自らの小ささが九郎の心を苛んで離れなかった。
 あっという間に銚子は空になってしまった。億劫だったけれど、飲まずにはいられなかった九郎は、注ぎ足すべくそれを乱暴に掴んで立ちあがった。歩くとぐらりと視界が揺れたけれど構いはしなかった。
 勢い任せに板戸を開ければ刺すような風が飛び込んで来て、震えた。平泉に比べれば暖かいほどなのに、濡れ縁も床板もすっかりと冷やされていて酔いが冷めてしまいそうだった。
 自然、足早になった。でも。ある音が聞こえて、九郎はぴたり、と、立ちすくんでしまった。
(まさか)
 じゃりじゃり、と、砂を踏む音だった。
(だが、あれからまだ半刻もたっていない!)
 思ったけれど、九郎は音が近づくのを待ってしまった。
 そして建物の陰やら現れた姿に、すうと、なにやら九郎を包んでいた感情が、落ちた。
「ああ、やはり戻っていたんですね」
「弁慶どうして」
「どうしても何も、抜け出してきたからここにいるに決まっているでしょう?」
 はんなりとした笑みが夜の闇に浮かんできた。九郎のいた部屋から漏れる囲炉裏の赤い光に長い長い影がゆらゆらと揺れていた。だけど九郎は立ちつくしたまま動けなかった。
「だが、今日はお前の」
「十分、祝ってもらいましたからね。それより、君が気になった、かな」
「……弁慶」
 景時の家で見た彼は楽しそうだった。そんな折角の時間を、潰してしまった。
(また俺は感謝とは間逆のことをしてしまった)
 九郎はしょげた。弁慶の笑みがあまりに穏やかだったから、ますますそんな風に思えた。自分に機を使っているのだと。
「望美たちにも、悪いことをした」
「いいんじゃないかな。望美さんたちもまだ楽しんでいるみたいだし。そういえば、九郎にごめんなさいと伝えてくれと言っていましたよ。また喧嘩したんですか?」
「ああ……少し」
「そうですか。僕はともかく、彼女には明日、きちんと謝っておくんですよ」
「ああ、そうする」
 けれど裏腹に、九郎は弁慶が現れてから、心がかすかに浮足立ちはじめたのを感じていた。そもそも、寝付けないなら自室でこっそり飲めばよかったのだ。なのにそうしなかったのは。
(俺は、会いたかったのか?)
 思い至って、九郎は急に顔が熱くなった気がした。鼓動も早まっている気がした。
(今更酒がまわってきたのか?)
 ぼんやりと思った。
 だったら、今のうちに、酒と夜闇の力を借りて言うべき言葉があるように思えて、
口にした。
「……お前にも、すまなかった。本当は俺も感謝の想いを伝えたかったのに、邪魔してばかりだ」
「感謝、ですか?」
「ああ。いつも世話になっているからな。誰よりも俺が祝うべきだと思っていたのに」
 と、九郎は至って反省しながら真摯に言ったつもりだった。なのに弁慶は何を思ったか声を漏らして笑いだした。
「ふふっ」
「……何がおかしい」
「いやだな九郎、まだ今日は終わってませんよ」
 と、衣を揺らし口元に手を当て言う弁慶に、九郎は軽く目を見開いてしまう。
「……それは、つまり」
「君のその言葉に、僕が素直に甘えていいなら、ですけれどね」
「祝っていいのか?」
 おずおずと返しててしまう。
 弁慶はにこにこと微笑んでいるだけだった。
「……弁慶」
 だからそれは肯定だと、九郎は受け取った。受け取って、改めて背筋を伸ばして告げた。
「ありがとう、弁慶」
「礼を言うのは僕の方だと思うけどな。まさか、君に二人きりで祝ってもらえるなんて、思っていなかったですからね」
 弁慶も外套を引き寄せながらそう続けてくれたので、九郎はますます嬉しくなった。
「ああ、途中で中座させてしまった分まで、俺が飲ませてやる!」
「……そういう意味ではなかったんだけどな、けれど、楽しみにしてますね」
「勿論だ、任せろ」
 そして九郎は今度こそ、改めて、銚子を持って、土間へ向かって駆けていった。
 寒さも最早気にならなかった。瓶から柄杓で酒を酌み、弁慶の分の盃を持って戻りながら、ふと弁慶の笑顔を思い出していた。
(祝おうとしたことを、あんなに喜んでもらえるとは思えなかった)
(こうなったら本気で、皆の分まで俺が)
 と、思ったところで、はた、と、弁慶の言葉が蘇った。
『まさか、君に二人きりで祝ってもらえるなんて』
(『二人きり』?)
 そして、ぴたり、と、足を止めてしまった。
(なんで、そんな事を俺は今気にしてる??)
 それはもしかしたら、気付いてはいけなかった部分だったのではないか、と、なんとなく、九郎は本当になんとなく、勘のようななにかで感じた。その証拠に何故か酔いが一気に冷めた心地もあった。
 でも、今日は弁慶の誕生を祝う日だ。今度こそ達成しなければならない、と、使命感に燃えていた九郎は、余計な事を振り切るように、と、大きく頭を振ってから、再び弁慶の元へ、足音を控えもせずに戻っていった。




昔って誕生日パーティーとかお正月と一緒だよねって思い込みが前提
あと分かりにくく書いてしまったのだけれどヒノエと九郎の会話はヒノエは望美相手の話をしてるけど九郎は弁慶の話をしてたんだよって一応補足させておいてくださいな
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