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九郎は弁慶が生まれた日がいつなのか知っていた。
でも、それを祝ったことはなかった。
特別に祝おうと思ったことも無かった。風習もなかった。
だがある日、誕生日を祝うということもいいかもしれない、と、はじめて思った。
それは異世界からやってきたという神子が、共にやってきた譲に祝いの品を贈られているのを皆と目にした時のことだった。
「あれは、何をしているんだ?」
とはいえ、心なしか真剣な顔で、神子に何かを渡していた彼の姿を見ても、九郎からすれば特別な催し事の最中には感じられなかった。だから、普通に声をかけようと部屋に足を踏み入れようとしたところを、後ろから弁慶に引っ張られた。
「九郎」
「なんだ?」
「見て分かりませんか?」
「何がだ?」
「譲殿、もしかして望美のこと……そう、そうだったのね」
「ますます分からん」
と、意味ありげな微笑みで咎めた弁慶や、何故か嬉しそうに目を輝かせた朔の言っていた意味も、結果的には勘違いだったに違いない。
すべては白龍が、構わずに望美や譲に近づいて話しかけたから判明したのだった。
「譲、神子に贈りもの?」
「えっ、白龍!?」
「うん、そうだよ」
声をかけられ、譲は慌てふためき望美は笑顔で頷いた。
「今日は私の誕生日なの」
「たんじょうび?」
「生まれた日のことだよ。私たちの世界にはね、その日にお誕生日おめでとうってお祝いする風習があるんだよ」
「こんな風にプレゼント……贈り物を贈ったり、あとは、宴を開いたり」
「そうだったの」
それを聞いた朔は言った。
「生誕の日をおめでとうと祝うなんて、素敵な習慣ね」
景時もその気になった。
「じゃあオレたちもお祝いしようよ~」
そして、急ごしらえの宴が開かれた。
だが、源氏は京に入ったばかりの頃。九郎だけでなく町の民も混乱をきたしていたし、怨霊も蔓延っているのだから、宴など開いている場合か、と、九郎は思った。この世界に来てすぐの神子と、九郎はまだ親しくはなくて、祝いたいなどと思いすらしなかったから尚更だった。
でも実際に宴がはじまってみれば、嬉しそうに頬を赤く染めている望美や、彼女を囲む朔や譲、白龍、他の仲間たちの楽しそうな姿は悪くないものだった。
そして、思ったのだ。
「なるほど、こうして改めて、相手がそこにいることに感謝するのも、いいことだな。俺もやってみるか」
と、そんな気になった。
だというのに、その呟きを聞いたヒノエが言った。
「へえ、あんたも案外計算高いんだね。もっと初心だと思ってたけど」
それに九郎は眉をひそめた。
「計算? 何がだ? 俺はただ、こういうときに日頃の礼を言うのも悪くないと思っただけだ」
「で、今は仏頂面しておいて、後でこそこそ何か渡そうっていうんだろ?」
「それのなにが悪いんだ?」
「悪くないさ。だから、興味なさそうなあんたもそうやって好感度あげようとするもんなんだね、って話をしてるだけじゃん」
「好感度? なんだそれは。なんで俺があいつのそんなものを上げなきゃいけないんだ。意味が分からん」
「まだ言うのかよ。なんだっけ、そういうのツンデレって神子姫様が言ってたっけ? 普段冷たい奴が優しくしてくれるとほろっとくるとか? でもオレ、そういうの嫌いなんだよね。姫君には普段から優しく接するものだよ」
「つん…なんだ??」
「望美と仲良くなりたいならとっとと努力を認めればっていってんの。あんなん時間の無駄じゃん」
「望美? 努力? もしかして花断ちの話か? だったらそれは今関係ないだろう」
「あーはいはい、もういいよ」
と、一方的に飄々と言われて、九郎はむっとした。最近加わったばかりのヒノエとはどうにも馬が合わない。
向こうもそう感じたんだろう。はらはらと手を振って望美の傍まで戻っていった。
(計算高い? 俺が?)
望美に調子のいい事を言っているのはヒノエの方じゃないか、としか九郎には見えなかったし、
なんで望美が出てくるのかも意味が分からなかった。
(友人の誕生日を祝うのは、駄目なのか?)
感謝を伝えたい、と、何気なく思っただけだった。
日頃から世話になっている弁慶に、来月の彼の誕生日を祝ってみよう、と思っただけだった。なのに、そんな風に罵られるなんて思っていなかった。それこそ、譲が望美を祝いたいと思いこうして宴を開いたのと、自分のそれとは変わらないつもりだったのに。
でも。望美の両隣で笑ってる譲とヒノエを見て、九郎はふと思った。
もしかして……九郎が判っていないだけで、なにか、自分はとても卑怯な真似をしようとしているのではないか?
ならば、源氏の総大将として、兄の代行として今京にいる身として、なにより九郎自身の性格が、そんな真似をすることを断じてを許さなかった。
ヒノエにまたあんな風に言われたのだって腹立たしかった。
(……だったら、何もしない! それでいいんだろう!?)
どうせ自分の代わりに誰かが正当に祝うのだろう。ますます構わない、と、思った。
けれど。
弁慶の誕生日を皆は知らない、という事を九郎は忘れていた。
すっかりと忘れていた。
当日に、後白河院に呼ばれ、つらつらと、意味の分からない、弁慶への土産話にもなるか分からない宋の流行の話を聞かされている途中で思い出した。
(どうしよう!)
去年までそんなもの祝ったことすらないし、祝おうとも思ったこともなかった。なのに九郎はなんだか、とてもひどい仕打ちを友にしてしまったような罪悪感を覚えた。
しかも、院はこういう時に限って九郎を手放してはくれず、戻った時にはすっかりと夜が更けていた。
九郎は走って六条堀川の舘へ向かった。けれど途中でふとなんとなく、景時の家へ足を向けた。
機転が功を奏した。宴会が開かれていて、弁慶もそこにいた。
(こんな時に何故宴? まさか、これは弁慶の『誕生日会』なのか?)
と、九郎がきょろきょろと一同を見回す間も無く、望美が笑顔で九郎を呼んだ。
「九郎さん! 遅かったですね。お仕事お疲れ様です」
「それよりこれは、」
「ああ、弁慶さんの誕生日が今日ってヒノエくんから聞いたんで、お祝いしてるんですよ」
「え、あ、そうなのか?」
そういえば、弁慶とヒノエは昔からの顔見知りの様子だった。
(俺以外にも知っている人間がいたのか)
「えっ、もしかして、九郎さん知らなかったんですか?」
「いや違う、うるさい! ……なんだ、心配して損した!」
「そんなに怒らなくたっていいじゃないですか!」
「望美、今日はおめでたい席なんだから、そんなに声を荒げたら駄目よ。九郎さんも座ってください。譲殿の料理がたくさんありますから」
そうこうしているうちに、朔になだめられて、九郎も宴の末席に加わった。
「九郎、来てくれてよかったよ。急に決まったことだったからね~。あ、はい、まずは飲んでよね」
「ああ、ありがとう」
座るなり、隣にいた景時が酒を勧めてくれた。ちらりと口をつけてはみたけれど、なんだか飲む気になれなかった。
「あれ、疲れてるのかな」
「そうかもしれん」
代わりにちらり、と、弁慶を見た。彼は皆に囲まれて譲の不思議な料理を食べながら微笑んでいた。
それに安堵した。
けれど同時になんだか、どっと疲れが出た。
(そうだ……そうだよな)
九郎が気に留める必要がなかったくらいに弁慶は楽しそうだった。そりゃそうだ。優しい彼は八葉たちに慕われている。皆がおめでとうを彼に言って祝っていた。それは良いことだ。親友が皆に慕われているのは九郎だって嬉しい。
でもだからこそ、あんなに慌てて、逃げるように院のところから帰ってきたのが馬鹿馬鹿しいように思えてしまった。そちらでも宴を開くと言っていた。九郎も声をかけられていた。出ていれば、兄の役に立てたかもしれない、と、そんなことも思ってしまった。
ちくり、と痛んだ胸に蓋をするように視線を戻し、譲の作ったという食事に箸をつけてみた。美味かった。でもやはり、箸がすすまなかった。
「……」
もう一度、九郎は弁慶を見た。遠くに見えた。自分がひどく場違いな気がした。そして。
「……帰ろう」
と、思った。
皆に気付かれないように、宴の盛り上がりを邪魔しないように、九郎はこっそりと部屋を抜け出し、景時の邸を後にした。
(こんな気持ちで祝いなどできるわけがない……)
冬の夜風が殊更冷たく感じた。
とはいえすぐに寝付けなくて、九郎は六条堀川で火にあたりながら一人で酒を飲んでいた。
先程の景時の家や、院のところの賑やかさもあって、一層寂しいような心地になっていた。
(これはますます寝付けそうな気がしない)
思いつつ、九郎はどんどんと酒をあおったけれど、酔いなどちっともまわらず、ましてや眠気など訪れることもなく。
(できればあいつと顔を合わせるより先に寝てしまいたいのに)
味も分からずに九郎はぐいぐいと飲み続けた。
その間延々と、先程の景時の家での様子が頭から離れなかった。
皆楽しそうだった。弁慶も穏やかに微笑んでいた。いい眺めだった。いい宴だった。なのに祝えなかった自分が、院と仲間たちを天秤にかけてしまった心が、それらすべての自らの小ささが九郎の心を苛んで離れなかった。
あっという間に銚子は空になってしまった。億劫だったけれど、飲まずにはいられなかった九郎は、注ぎ足すべくそれを乱暴に掴んで立ちあがった。歩くとぐらりと視界が揺れたけれど構いはしなかった。
勢い任せに板戸を開ければ刺すような風が飛び込んで来て、震えた。平泉に比べれば暖かいほどなのに、濡れ縁も床板もすっかりと冷やされていて酔いが冷めてしまいそうだった。
自然、足早になった。でも。ある音が聞こえて、九郎はぴたり、と、立ちすくんでしまった。
(まさか)
じゃりじゃり、と、砂を踏む音だった。
(だが、あれからまだ半刻もたっていない!)
思ったけれど、九郎は音が近づくのを待ってしまった。
そして建物の陰やら現れた姿に、すうと、なにやら九郎を包んでいた感情が、落ちた。
「ああ、やはり戻っていたんですね」
「弁慶どうして」
「どうしても何も、抜け出してきたからここにいるに決まっているでしょう?」
はんなりとした笑みが夜の闇に浮かんできた。九郎のいた部屋から漏れる囲炉裏の赤い光に長い長い影がゆらゆらと揺れていた。だけど九郎は立ちつくしたまま動けなかった。
「だが、今日はお前の」
「十分、祝ってもらいましたからね。それより、君が気になった、かな」
「……弁慶」
景時の家で見た彼は楽しそうだった。そんな折角の時間を、潰してしまった。
(また俺は感謝とは間逆のことをしてしまった)
九郎はしょげた。弁慶の笑みがあまりに穏やかだったから、ますますそんな風に思えた。自分に機を使っているのだと。
「望美たちにも、悪いことをした」
「いいんじゃないかな。望美さんたちもまだ楽しんでいるみたいだし。そういえば、九郎にごめんなさいと伝えてくれと言っていましたよ。また喧嘩したんですか?」
「ああ……少し」
「そうですか。僕はともかく、彼女には明日、きちんと謝っておくんですよ」
「ああ、そうする」
けれど裏腹に、九郎は弁慶が現れてから、心がかすかに浮足立ちはじめたのを感じていた。そもそも、寝付けないなら自室でこっそり飲めばよかったのだ。なのにそうしなかったのは。
(俺は、会いたかったのか?)
思い至って、九郎は急に顔が熱くなった気がした。鼓動も早まっている気がした。
(今更酒がまわってきたのか?)
ぼんやりと思った。
だったら、今のうちに、酒と夜闇の力を借りて言うべき言葉があるように思えて、
口にした。
「……お前にも、すまなかった。本当は俺も感謝の想いを伝えたかったのに、邪魔してばかりだ」
「感謝、ですか?」
「ああ。いつも世話になっているからな。誰よりも俺が祝うべきだと思っていたのに」
と、九郎は至って反省しながら真摯に言ったつもりだった。なのに弁慶は何を思ったか声を漏らして笑いだした。
「ふふっ」
「……何がおかしい」
「いやだな九郎、まだ今日は終わってませんよ」
と、衣を揺らし口元に手を当て言う弁慶に、九郎は軽く目を見開いてしまう。
「……それは、つまり」
「君のその言葉に、僕が素直に甘えていいなら、ですけれどね」
「祝っていいのか?」
おずおずと返しててしまう。
弁慶はにこにこと微笑んでいるだけだった。
「……弁慶」
だからそれは肯定だと、九郎は受け取った。受け取って、改めて背筋を伸ばして告げた。
「ありがとう、弁慶」
「礼を言うのは僕の方だと思うけどな。まさか、君に二人きりで祝ってもらえるなんて、思っていなかったですからね」
弁慶も外套を引き寄せながらそう続けてくれたので、九郎はますます嬉しくなった。
「ああ、途中で中座させてしまった分まで、俺が飲ませてやる!」
「……そういう意味ではなかったんだけどな、けれど、楽しみにしてますね」
「勿論だ、任せろ」
そして九郎は今度こそ、改めて、銚子を持って、土間へ向かって駆けていった。
寒さも最早気にならなかった。瓶から柄杓で酒を酌み、弁慶の分の盃を持って戻りながら、ふと弁慶の笑顔を思い出していた。
(祝おうとしたことを、あんなに喜んでもらえるとは思えなかった)
(こうなったら本気で、皆の分まで俺が)
と、思ったところで、はた、と、弁慶の言葉が蘇った。
『まさか、君に二人きりで祝ってもらえるなんて』
(『二人きり』?)
そして、ぴたり、と、足を止めてしまった。
(なんで、そんな事を俺は今気にしてる??)
それはもしかしたら、気付いてはいけなかった部分だったのではないか、と、なんとなく、九郎は本当になんとなく、勘のようななにかで感じた。その証拠に何故か酔いが一気に冷めた心地もあった。
でも、今日は弁慶の誕生を祝う日だ。今度こそ達成しなければならない、と、使命感に燃えていた九郎は、余計な事を振り切るように、と、大きく頭を振ってから、再び弁慶の元へ、足音を控えもせずに戻っていった。
昔って誕生日パーティーとかお正月と一緒だよねって思い込みが前提
あと分かりにくく書いてしまったのだけれどヒノエと九郎の会話はヒノエは望美相手の話をしてるけど九郎は弁慶の話をしてたんだよって一応補足させておいてくださいな
でも、それを祝ったことはなかった。
特別に祝おうと思ったことも無かった。風習もなかった。
だがある日、誕生日を祝うということもいいかもしれない、と、はじめて思った。
それは異世界からやってきたという神子が、共にやってきた譲に祝いの品を贈られているのを皆と目にした時のことだった。
「あれは、何をしているんだ?」
とはいえ、心なしか真剣な顔で、神子に何かを渡していた彼の姿を見ても、九郎からすれば特別な催し事の最中には感じられなかった。だから、普通に声をかけようと部屋に足を踏み入れようとしたところを、後ろから弁慶に引っ張られた。
「九郎」
「なんだ?」
「見て分かりませんか?」
「何がだ?」
「譲殿、もしかして望美のこと……そう、そうだったのね」
「ますます分からん」
と、意味ありげな微笑みで咎めた弁慶や、何故か嬉しそうに目を輝かせた朔の言っていた意味も、結果的には勘違いだったに違いない。
すべては白龍が、構わずに望美や譲に近づいて話しかけたから判明したのだった。
「譲、神子に贈りもの?」
「えっ、白龍!?」
「うん、そうだよ」
声をかけられ、譲は慌てふためき望美は笑顔で頷いた。
「今日は私の誕生日なの」
「たんじょうび?」
「生まれた日のことだよ。私たちの世界にはね、その日にお誕生日おめでとうってお祝いする風習があるんだよ」
「こんな風にプレゼント……贈り物を贈ったり、あとは、宴を開いたり」
「そうだったの」
それを聞いた朔は言った。
「生誕の日をおめでとうと祝うなんて、素敵な習慣ね」
景時もその気になった。
「じゃあオレたちもお祝いしようよ~」
そして、急ごしらえの宴が開かれた。
だが、源氏は京に入ったばかりの頃。九郎だけでなく町の民も混乱をきたしていたし、怨霊も蔓延っているのだから、宴など開いている場合か、と、九郎は思った。この世界に来てすぐの神子と、九郎はまだ親しくはなくて、祝いたいなどと思いすらしなかったから尚更だった。
でも実際に宴がはじまってみれば、嬉しそうに頬を赤く染めている望美や、彼女を囲む朔や譲、白龍、他の仲間たちの楽しそうな姿は悪くないものだった。
そして、思ったのだ。
「なるほど、こうして改めて、相手がそこにいることに感謝するのも、いいことだな。俺もやってみるか」
と、そんな気になった。
だというのに、その呟きを聞いたヒノエが言った。
「へえ、あんたも案外計算高いんだね。もっと初心だと思ってたけど」
それに九郎は眉をひそめた。
「計算? 何がだ? 俺はただ、こういうときに日頃の礼を言うのも悪くないと思っただけだ」
「で、今は仏頂面しておいて、後でこそこそ何か渡そうっていうんだろ?」
「それのなにが悪いんだ?」
「悪くないさ。だから、興味なさそうなあんたもそうやって好感度あげようとするもんなんだね、って話をしてるだけじゃん」
「好感度? なんだそれは。なんで俺があいつのそんなものを上げなきゃいけないんだ。意味が分からん」
「まだ言うのかよ。なんだっけ、そういうのツンデレって神子姫様が言ってたっけ? 普段冷たい奴が優しくしてくれるとほろっとくるとか? でもオレ、そういうの嫌いなんだよね。姫君には普段から優しく接するものだよ」
「つん…なんだ??」
「望美と仲良くなりたいならとっとと努力を認めればっていってんの。あんなん時間の無駄じゃん」
「望美? 努力? もしかして花断ちの話か? だったらそれは今関係ないだろう」
「あーはいはい、もういいよ」
と、一方的に飄々と言われて、九郎はむっとした。最近加わったばかりのヒノエとはどうにも馬が合わない。
向こうもそう感じたんだろう。はらはらと手を振って望美の傍まで戻っていった。
(計算高い? 俺が?)
望美に調子のいい事を言っているのはヒノエの方じゃないか、としか九郎には見えなかったし、
なんで望美が出てくるのかも意味が分からなかった。
(友人の誕生日を祝うのは、駄目なのか?)
感謝を伝えたい、と、何気なく思っただけだった。
日頃から世話になっている弁慶に、来月の彼の誕生日を祝ってみよう、と思っただけだった。なのに、そんな風に罵られるなんて思っていなかった。それこそ、譲が望美を祝いたいと思いこうして宴を開いたのと、自分のそれとは変わらないつもりだったのに。
でも。望美の両隣で笑ってる譲とヒノエを見て、九郎はふと思った。
もしかして……九郎が判っていないだけで、なにか、自分はとても卑怯な真似をしようとしているのではないか?
ならば、源氏の総大将として、兄の代行として今京にいる身として、なにより九郎自身の性格が、そんな真似をすることを断じてを許さなかった。
ヒノエにまたあんな風に言われたのだって腹立たしかった。
(……だったら、何もしない! それでいいんだろう!?)
どうせ自分の代わりに誰かが正当に祝うのだろう。ますます構わない、と、思った。
けれど。
弁慶の誕生日を皆は知らない、という事を九郎は忘れていた。
すっかりと忘れていた。
当日に、後白河院に呼ばれ、つらつらと、意味の分からない、弁慶への土産話にもなるか分からない宋の流行の話を聞かされている途中で思い出した。
(どうしよう!)
去年までそんなもの祝ったことすらないし、祝おうとも思ったこともなかった。なのに九郎はなんだか、とてもひどい仕打ちを友にしてしまったような罪悪感を覚えた。
しかも、院はこういう時に限って九郎を手放してはくれず、戻った時にはすっかりと夜が更けていた。
九郎は走って六条堀川の舘へ向かった。けれど途中でふとなんとなく、景時の家へ足を向けた。
機転が功を奏した。宴会が開かれていて、弁慶もそこにいた。
(こんな時に何故宴? まさか、これは弁慶の『誕生日会』なのか?)
と、九郎がきょろきょろと一同を見回す間も無く、望美が笑顔で九郎を呼んだ。
「九郎さん! 遅かったですね。お仕事お疲れ様です」
「それよりこれは、」
「ああ、弁慶さんの誕生日が今日ってヒノエくんから聞いたんで、お祝いしてるんですよ」
「え、あ、そうなのか?」
そういえば、弁慶とヒノエは昔からの顔見知りの様子だった。
(俺以外にも知っている人間がいたのか)
「えっ、もしかして、九郎さん知らなかったんですか?」
「いや違う、うるさい! ……なんだ、心配して損した!」
「そんなに怒らなくたっていいじゃないですか!」
「望美、今日はおめでたい席なんだから、そんなに声を荒げたら駄目よ。九郎さんも座ってください。譲殿の料理がたくさんありますから」
そうこうしているうちに、朔になだめられて、九郎も宴の末席に加わった。
「九郎、来てくれてよかったよ。急に決まったことだったからね~。あ、はい、まずは飲んでよね」
「ああ、ありがとう」
座るなり、隣にいた景時が酒を勧めてくれた。ちらりと口をつけてはみたけれど、なんだか飲む気になれなかった。
「あれ、疲れてるのかな」
「そうかもしれん」
代わりにちらり、と、弁慶を見た。彼は皆に囲まれて譲の不思議な料理を食べながら微笑んでいた。
それに安堵した。
けれど同時になんだか、どっと疲れが出た。
(そうだ……そうだよな)
九郎が気に留める必要がなかったくらいに弁慶は楽しそうだった。そりゃそうだ。優しい彼は八葉たちに慕われている。皆がおめでとうを彼に言って祝っていた。それは良いことだ。親友が皆に慕われているのは九郎だって嬉しい。
でもだからこそ、あんなに慌てて、逃げるように院のところから帰ってきたのが馬鹿馬鹿しいように思えてしまった。そちらでも宴を開くと言っていた。九郎も声をかけられていた。出ていれば、兄の役に立てたかもしれない、と、そんなことも思ってしまった。
ちくり、と痛んだ胸に蓋をするように視線を戻し、譲の作ったという食事に箸をつけてみた。美味かった。でもやはり、箸がすすまなかった。
「……」
もう一度、九郎は弁慶を見た。遠くに見えた。自分がひどく場違いな気がした。そして。
「……帰ろう」
と、思った。
皆に気付かれないように、宴の盛り上がりを邪魔しないように、九郎はこっそりと部屋を抜け出し、景時の邸を後にした。
(こんな気持ちで祝いなどできるわけがない……)
冬の夜風が殊更冷たく感じた。
とはいえすぐに寝付けなくて、九郎は六条堀川で火にあたりながら一人で酒を飲んでいた。
先程の景時の家や、院のところの賑やかさもあって、一層寂しいような心地になっていた。
(これはますます寝付けそうな気がしない)
思いつつ、九郎はどんどんと酒をあおったけれど、酔いなどちっともまわらず、ましてや眠気など訪れることもなく。
(できればあいつと顔を合わせるより先に寝てしまいたいのに)
味も分からずに九郎はぐいぐいと飲み続けた。
その間延々と、先程の景時の家での様子が頭から離れなかった。
皆楽しそうだった。弁慶も穏やかに微笑んでいた。いい眺めだった。いい宴だった。なのに祝えなかった自分が、院と仲間たちを天秤にかけてしまった心が、それらすべての自らの小ささが九郎の心を苛んで離れなかった。
あっという間に銚子は空になってしまった。億劫だったけれど、飲まずにはいられなかった九郎は、注ぎ足すべくそれを乱暴に掴んで立ちあがった。歩くとぐらりと視界が揺れたけれど構いはしなかった。
勢い任せに板戸を開ければ刺すような風が飛び込んで来て、震えた。平泉に比べれば暖かいほどなのに、濡れ縁も床板もすっかりと冷やされていて酔いが冷めてしまいそうだった。
自然、足早になった。でも。ある音が聞こえて、九郎はぴたり、と、立ちすくんでしまった。
(まさか)
じゃりじゃり、と、砂を踏む音だった。
(だが、あれからまだ半刻もたっていない!)
思ったけれど、九郎は音が近づくのを待ってしまった。
そして建物の陰やら現れた姿に、すうと、なにやら九郎を包んでいた感情が、落ちた。
「ああ、やはり戻っていたんですね」
「弁慶どうして」
「どうしても何も、抜け出してきたからここにいるに決まっているでしょう?」
はんなりとした笑みが夜の闇に浮かんできた。九郎のいた部屋から漏れる囲炉裏の赤い光に長い長い影がゆらゆらと揺れていた。だけど九郎は立ちつくしたまま動けなかった。
「だが、今日はお前の」
「十分、祝ってもらいましたからね。それより、君が気になった、かな」
「……弁慶」
景時の家で見た彼は楽しそうだった。そんな折角の時間を、潰してしまった。
(また俺は感謝とは間逆のことをしてしまった)
九郎はしょげた。弁慶の笑みがあまりに穏やかだったから、ますますそんな風に思えた。自分に機を使っているのだと。
「望美たちにも、悪いことをした」
「いいんじゃないかな。望美さんたちもまだ楽しんでいるみたいだし。そういえば、九郎にごめんなさいと伝えてくれと言っていましたよ。また喧嘩したんですか?」
「ああ……少し」
「そうですか。僕はともかく、彼女には明日、きちんと謝っておくんですよ」
「ああ、そうする」
けれど裏腹に、九郎は弁慶が現れてから、心がかすかに浮足立ちはじめたのを感じていた。そもそも、寝付けないなら自室でこっそり飲めばよかったのだ。なのにそうしなかったのは。
(俺は、会いたかったのか?)
思い至って、九郎は急に顔が熱くなった気がした。鼓動も早まっている気がした。
(今更酒がまわってきたのか?)
ぼんやりと思った。
だったら、今のうちに、酒と夜闇の力を借りて言うべき言葉があるように思えて、
口にした。
「……お前にも、すまなかった。本当は俺も感謝の想いを伝えたかったのに、邪魔してばかりだ」
「感謝、ですか?」
「ああ。いつも世話になっているからな。誰よりも俺が祝うべきだと思っていたのに」
と、九郎は至って反省しながら真摯に言ったつもりだった。なのに弁慶は何を思ったか声を漏らして笑いだした。
「ふふっ」
「……何がおかしい」
「いやだな九郎、まだ今日は終わってませんよ」
と、衣を揺らし口元に手を当て言う弁慶に、九郎は軽く目を見開いてしまう。
「……それは、つまり」
「君のその言葉に、僕が素直に甘えていいなら、ですけれどね」
「祝っていいのか?」
おずおずと返しててしまう。
弁慶はにこにこと微笑んでいるだけだった。
「……弁慶」
だからそれは肯定だと、九郎は受け取った。受け取って、改めて背筋を伸ばして告げた。
「ありがとう、弁慶」
「礼を言うのは僕の方だと思うけどな。まさか、君に二人きりで祝ってもらえるなんて、思っていなかったですからね」
弁慶も外套を引き寄せながらそう続けてくれたので、九郎はますます嬉しくなった。
「ああ、途中で中座させてしまった分まで、俺が飲ませてやる!」
「……そういう意味ではなかったんだけどな、けれど、楽しみにしてますね」
「勿論だ、任せろ」
そして九郎は今度こそ、改めて、銚子を持って、土間へ向かって駆けていった。
寒さも最早気にならなかった。瓶から柄杓で酒を酌み、弁慶の分の盃を持って戻りながら、ふと弁慶の笑顔を思い出していた。
(祝おうとしたことを、あんなに喜んでもらえるとは思えなかった)
(こうなったら本気で、皆の分まで俺が)
と、思ったところで、はた、と、弁慶の言葉が蘇った。
『まさか、君に二人きりで祝ってもらえるなんて』
(『二人きり』?)
そして、ぴたり、と、足を止めてしまった。
(なんで、そんな事を俺は今気にしてる??)
それはもしかしたら、気付いてはいけなかった部分だったのではないか、と、なんとなく、九郎は本当になんとなく、勘のようななにかで感じた。その証拠に何故か酔いが一気に冷めた心地もあった。
でも、今日は弁慶の誕生を祝う日だ。今度こそ達成しなければならない、と、使命感に燃えていた九郎は、余計な事を振り切るように、と、大きく頭を振ってから、再び弁慶の元へ、足音を控えもせずに戻っていった。
昔って誕生日パーティーとかお正月と一緒だよねって思い込みが前提
あと分かりにくく書いてしまったのだけれどヒノエと九郎の会話はヒノエは望美相手の話をしてるけど九郎は弁慶の話をしてたんだよって一応補足させておいてくださいな
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