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九郎が説明を終えると、彼女は礼を言いながらゆっくりと頭をさげる。心地よい声だった。長い髪もさらりと肩から落ちて、綺麗な流線を描いた。
隣の侍女風の女もそれに続くと、きっと急ぐ旅だったのだろう、二人は九郎から離れ、あっという間に人ごみの中に消えていった。
それでもなんとなく、九郎は視線をそちらに向けたままに立ち止まっていた。
そこにかけられる、また別の声。
「なるほど」
軽く驚いて、すぐさまに振り返ってしまうけれど、
それは声の主を確かめる為ではなく。
「弁慶」
「どうしました? まさか、君にこんなにも驚かれるなんて」
「こんなところでお前に会うと思ってなかったからな」
というのが本音だったので、それを素直に告げる、と、弁慶は訝しみ。
「『こんなところ?』 京の二条の通りが?」
「あ、いや、その、確かにそうだが、だが」
「都合が悪いところを見られたから、肝が冷えた、のでしょう?」
「都合が悪い……? どこをどうしたらそう見えるんだ」
「ふふっ、あんなに美しいお嬢さん方といつ知り合ったんです? 君も隅におけないな」
「あの方たちは! たまたま道を聞かれただけだ!!」
「誤魔化さなくてもいいのに」
「邪推のしすぎだ」
眉をひそめつつ九郎が真実を告げても、弁慶はからかうような視線をやめない。
が、確かに、弁慶の声に驚いたのは、あの二人をぼんやりと見送っていたから、というのは否定できないな、とは思った。
思えど、顔には出さぬように努めていたつもりだった。なのに途端、弁慶は更に、
「そうかな、あの身分の高そうな方、君の好みそうな女性だな、と思ったんですが」
さらりとした口調ではあったけど、そんな事を言う。
九郎は怒ることもできずに言い淀むしかなかった。
「なっ、何を言うんだお前は! あの方に失礼だぞ!」
弁慶はますます笑む。
「否定しない、ですか」
「それはっ、だな」
「まんざらでもなさそうですね。知らなかったな」
かまをかけられた! と知るも遅い。遅すぎる。九郎は大きく息を吐くしかなかった。
観念したと分かったのだろう、そんな九郎に、弁慶はこれみよがしにずずいと顔を寄せて。
「で、」
続けながらにこりと笑う。嫌な予感。
「せっかくだから、聞いておこうかな」
「何を」
「君の好みを」
「……お前に言ってどうする」
「せっかくの機会ですから、参考に。いつかどこかで役に立つかもしれないですからね」
弁慶は軍師で、彼が情報を集める有用性を九郎もよく知っている。
だが、今、どうみてもそれは本心には見えなかった。すがすがしいほどにいい笑顔なのがそれに拍車をかけている。好奇心が垣間見えている。もし犬だったら……弁慶と犬、など、似ても似つかない、ありえないけど、でも仮に、もし犬だったらそうだとしたら、尻尾がゆさゆさと揺れているだろうな、と思った。金は元気だろうか。
と、九郎は全く取り合うつもりはなかった。断じてなかった。
だというのに。
「そうですね、たとえば、礼儀正しい人、好きでしょう?」
問われたら。
「それは、人として当然だろう」
そう、九郎にとって、礼儀はなにより重きを置くもので、あまりにも当然の事を当然のように聞いてきたものだから。
「君らしいな。では他には……笑顔が似合うとか?」
「それもそうだろう」
「他は…優しい人とか好きかな、君は」
「…………まあ、そうだな」
「外見はどうですか? 華奢な姫君とか、守りがいがあるでしょう?」
「いや、それよりは、いくらか戦える方が頼もしい」
「望美さんみたいな?」
「あれはそうそういないだろう」
「ふふっ、それは冗談ですが、でも意外でした。いや、君らしいのかな。君は剣術しか知らないから」
「そんなこともない」
気付けば、すらすらと答えていた。
「他には?」
「そうだな……やっぱりその、なんだ、誠実であって欲しいと思う」
「ふふっ、君に対して?」
「そうじゃない! 仲間に対して、というか……とにかく、そんな感じだ」
「はいはい」
好みということは自分が認める人間、ということだから、そういう相手にもそのように……清廉潔癖までとは行かずとも、胸を張っていられるような生き方をしていて欲しい、と言いたかった、
のだが、弁慶のあまり褒められたものではない風に歪む瞳を見る限り、多分、伝わってない。
「勝手に取り違えるな」
「そんなことないですよ。君とどれだけ一緒にいると思ってるんですか」
「それはそうだが…」
こういう時に、稀にだけど思うこともある。自分も弁慶ほどに口が立てば、と、羨むこともある。
……そう考えれば。
「ああ、花好き、とかもいいな」
「……好みの女性の話、ですか?」
「ああ」
頷くと、弁慶は今までで一番目を丸くし、九郎を見上げる。
「君、花に興味があったんですか?」
「俺はない。が、だからこそだ。興味のあることが少しずれてたら、それもいいじゃないか」
と、今弁慶と喋っていて思ったのだった。結局、弁慶のそれだけ口のまわるところを好ましく思ってここまで友としてやってきた、そんな気がした。
「花、ねえ」
その後しばらく、弁慶は心底意外だと言わんばかりに、口元に手を置き九郎を見上げていた。
「笑うな」
「笑ってなんていませんよ。それだけ君の口から、花、という言葉が出てきたことが意外だったんです」
「悪いか」
「いえ、君らしいと思いますよ」
そしてようやく納得したのか、言うと改めて九郎に微笑んだ。
「うん、色々と興味深かったですよ九郎。ありがとうございました」
「もういいのか?」
「ええ。十分楽しめました」
「……お前、何かの参考に、とか言ってなかったか?」
「さあ、そうでしたっけ?」
「自分で言いだした趣旨くらい最後まで守れ」
呆れながらに言うも、弁慶はすでにひらりと外套を翻しながらただ、にこりと笑っただけだったので、かわりに九郎が息を深く吐いた。
けれど、そんな九郎に、弁慶は穏やかに声をかける。
「ですが、参考になったのは本当ですよ」
「そうなのか?」
てっきり弁慶の方弁だと思っていたので、驚いた九郎が問い返すと、弁慶はなおもにこやかに答える。
「ええ。残念な事実が判明しました」
「残念? どうかしたのか?」
「そうなんです。君の好みは、随分と僕と違うみたいで」
「ん? そういえばお前の好みも聞」
「そうじゃなくて、君の理想と、僕自身が、ですよ」
「ああ、そういう事か。そういえばそうだな」
言われてみれば、そうだった。笑顔の弁慶同様、九郎も笑顔で納得し、頷いた。
も、当然に束の間だ。
「ってなななんでそこにお前が出てくる!?」
弁慶の言っている意味に気がついて九郎は一転、声を荒げた。
賑やかな二条通り、視線が九郎に突き刺さる、のは気のせいだったらよかった。ますます顔が赤くなるのを感じながら、今更だろうが九郎は口をつぐむ。
でも弁慶はお構いなく、なんでもない口調でなおも続けた。
「逆に聞きましょうか、九郎。君こそ、どうして僕の名前を出したくらいでそんなに驚くんですか?」
「普通驚くだろう!」
「そうかな? 僕だって、君と生涯を添い遂げる可能性はあるでしょう?」
「無い! 絶対に無い! 断じて無い!」
動揺しきったまま九郎はきっぱり否定する。また視線が刺さった気がしたが、それどころではない、というか。
彼お得意の冗談だろう、と思ってもいた。だというのに、既にどうしてこんな会話になったんだったか、それすらももう分からなくなっていたほどだ。
だけど、
「そうですか」
瞬間、弁慶がはっきりと落胆したのは、今の九郎にも分かった。
はっとする。そんな九郎に構わず、悲しみを大きな目にたたえた弁慶は、その一言だけを残して踵を返し、九郎から離れていった。
「!」
九郎はとっさに手を伸ばした。まさか、あんな顔させてしまうなんて思ってなかった!
「待て、待て弁慶!」
すると、弁慶はぴたり、と足を止め、あっけないほどに簡単に、くるりと振り向いた。
「はい、待ちます」
表情は先ほどとはいくらか違う……恨めしそうな顔、にも見える。が、実のところは分からない。
でも、振りかえった彼を見、九郎は印象を受ける。たぶん、なんにせよ、彼は九郎が呼びとめるのを知っていたような。
待ち構えていたような。
「おま……」
その事実に気付いた瞬間、九郎はさあっと、すごい勢いで血の気のひいていくのを感じた。
この際、弁慶の言葉の真偽はいい。
だが傷つけたと判じたから、九郎は彼を呼び止めた。だから今、九郎は謝ることになるわけで、そうするべきだ、
が、この状況で謝るということは、直前の自分の言葉を取り返すということだ。つまり、弁慶と添い遂げることになっても構わないと、つまり、彼が好きなのだと告げることになるじゃないか……!
「だっ、だから」
「だから?」
待てなんて言わなければよかった、なんて、後の祭りだ。じっとこちらを見つめる弁慶は、こうなった以上ただでひくはずがないのだから。
こうしていても仕方がないだろう。ああもう、と、かぶりを振ってから、九郎は言った。
「だから、その、お前は親友だろ? 好みじゃなかったかもしれんが、でも今までこうしてやってきたんだから、だから、今更お前の名前がでてきて、驚いたんだ。そう、それだけの事だ。悪かった」
そう。親友であるはずの弁慶が、いきなり変なことを言うから焦ったんだ。そういう事だ。多分。と、言ってみた所でなお、弁慶は止まったままの位置から、完全に疑心暗鬼のまなざしで九郎を見る。
「……なんだか、大事なところをはぐらかされている気がするな」
「そんなことはない」
そもそも、弁慶が話をずらしてきたんだ。九郎は内心冷や汗だったが、懸命に弁慶を見つめ返す。
と、いくらかの後、弁慶は再び九郎に歩み寄りつつ微笑んだ。
「仕方ないな、それで騙されてあげましょう」
「だましっ…」
てなど、いない!と言いかけた。でも、それでまたさっきのように墓穴でも掘ろうものなら九郎はいよいよ致命的な状況に追い込まれかねない、から、黙る。かろうじて。
そんな彼を見、弁慶は声を漏らして笑った。その様子は実に楽しそうで恨めしい。それでも。
「……ところで君はこの後、どこへ向かうつもりだったんですか?」
「ん? 景時のところだ」
「奇遇だな。僕もそうだったんですよ。では連れだって参りましょうか」
「……そうだな」
安堵の方が大きかったのもまた事実だった。笑顔で返せば、弁慶が今度こそ歩きだしたので、九郎もそれに続いた。
前を行く弁慶の外套が揺れる。よく見れば、下の方にいくらか草がついていた。手ぶらだが、また薬草でも摘んでいたのだろうか。
彼の薬草やそれに準ずるものに対する姿勢は、感心に値する、と、九郎は思う。曼荼羅やらなにやらのことはいい加減にしろと言いたいが、無数の薬草を知り、それを摘み集め薬を作る、ということはなかなかできないだろう。いい友人を持った。源氏の皆も頼もしく思っていてくれればいい。
思って、ついでのように気がついた。
「あれ、でもさっきの俺の話、」
……本人の言いまわしに難あり、だとしても、基本礼節を知り真摯さも持ち合わせていて。
笑顔が似合い、優しく、武術の心得があり、よく笑い、花が好き、って。
「どうかしましたか?」
「……いや、何も」
……本人はああ言っていたけど、九郎からしたら、それはあまりにも弁慶にあてはまるものばかりで。
可能性は……たしかに、あるかもしれなかった。
花好き→薬草好き
「君の僕と僕の僕」
隣の侍女風の女もそれに続くと、きっと急ぐ旅だったのだろう、二人は九郎から離れ、あっという間に人ごみの中に消えていった。
それでもなんとなく、九郎は視線をそちらに向けたままに立ち止まっていた。
そこにかけられる、また別の声。
「なるほど」
軽く驚いて、すぐさまに振り返ってしまうけれど、
それは声の主を確かめる為ではなく。
「弁慶」
「どうしました? まさか、君にこんなにも驚かれるなんて」
「こんなところでお前に会うと思ってなかったからな」
というのが本音だったので、それを素直に告げる、と、弁慶は訝しみ。
「『こんなところ?』 京の二条の通りが?」
「あ、いや、その、確かにそうだが、だが」
「都合が悪いところを見られたから、肝が冷えた、のでしょう?」
「都合が悪い……? どこをどうしたらそう見えるんだ」
「ふふっ、あんなに美しいお嬢さん方といつ知り合ったんです? 君も隅におけないな」
「あの方たちは! たまたま道を聞かれただけだ!!」
「誤魔化さなくてもいいのに」
「邪推のしすぎだ」
眉をひそめつつ九郎が真実を告げても、弁慶はからかうような視線をやめない。
が、確かに、弁慶の声に驚いたのは、あの二人をぼんやりと見送っていたから、というのは否定できないな、とは思った。
思えど、顔には出さぬように努めていたつもりだった。なのに途端、弁慶は更に、
「そうかな、あの身分の高そうな方、君の好みそうな女性だな、と思ったんですが」
さらりとした口調ではあったけど、そんな事を言う。
九郎は怒ることもできずに言い淀むしかなかった。
「なっ、何を言うんだお前は! あの方に失礼だぞ!」
弁慶はますます笑む。
「否定しない、ですか」
「それはっ、だな」
「まんざらでもなさそうですね。知らなかったな」
かまをかけられた! と知るも遅い。遅すぎる。九郎は大きく息を吐くしかなかった。
観念したと分かったのだろう、そんな九郎に、弁慶はこれみよがしにずずいと顔を寄せて。
「で、」
続けながらにこりと笑う。嫌な予感。
「せっかくだから、聞いておこうかな」
「何を」
「君の好みを」
「……お前に言ってどうする」
「せっかくの機会ですから、参考に。いつかどこかで役に立つかもしれないですからね」
弁慶は軍師で、彼が情報を集める有用性を九郎もよく知っている。
だが、今、どうみてもそれは本心には見えなかった。すがすがしいほどにいい笑顔なのがそれに拍車をかけている。好奇心が垣間見えている。もし犬だったら……弁慶と犬、など、似ても似つかない、ありえないけど、でも仮に、もし犬だったらそうだとしたら、尻尾がゆさゆさと揺れているだろうな、と思った。金は元気だろうか。
と、九郎は全く取り合うつもりはなかった。断じてなかった。
だというのに。
「そうですね、たとえば、礼儀正しい人、好きでしょう?」
問われたら。
「それは、人として当然だろう」
そう、九郎にとって、礼儀はなにより重きを置くもので、あまりにも当然の事を当然のように聞いてきたものだから。
「君らしいな。では他には……笑顔が似合うとか?」
「それもそうだろう」
「他は…優しい人とか好きかな、君は」
「…………まあ、そうだな」
「外見はどうですか? 華奢な姫君とか、守りがいがあるでしょう?」
「いや、それよりは、いくらか戦える方が頼もしい」
「望美さんみたいな?」
「あれはそうそういないだろう」
「ふふっ、それは冗談ですが、でも意外でした。いや、君らしいのかな。君は剣術しか知らないから」
「そんなこともない」
気付けば、すらすらと答えていた。
「他には?」
「そうだな……やっぱりその、なんだ、誠実であって欲しいと思う」
「ふふっ、君に対して?」
「そうじゃない! 仲間に対して、というか……とにかく、そんな感じだ」
「はいはい」
好みということは自分が認める人間、ということだから、そういう相手にもそのように……清廉潔癖までとは行かずとも、胸を張っていられるような生き方をしていて欲しい、と言いたかった、
のだが、弁慶のあまり褒められたものではない風に歪む瞳を見る限り、多分、伝わってない。
「勝手に取り違えるな」
「そんなことないですよ。君とどれだけ一緒にいると思ってるんですか」
「それはそうだが…」
こういう時に、稀にだけど思うこともある。自分も弁慶ほどに口が立てば、と、羨むこともある。
……そう考えれば。
「ああ、花好き、とかもいいな」
「……好みの女性の話、ですか?」
「ああ」
頷くと、弁慶は今までで一番目を丸くし、九郎を見上げる。
「君、花に興味があったんですか?」
「俺はない。が、だからこそだ。興味のあることが少しずれてたら、それもいいじゃないか」
と、今弁慶と喋っていて思ったのだった。結局、弁慶のそれだけ口のまわるところを好ましく思ってここまで友としてやってきた、そんな気がした。
「花、ねえ」
その後しばらく、弁慶は心底意外だと言わんばかりに、口元に手を置き九郎を見上げていた。
「笑うな」
「笑ってなんていませんよ。それだけ君の口から、花、という言葉が出てきたことが意外だったんです」
「悪いか」
「いえ、君らしいと思いますよ」
そしてようやく納得したのか、言うと改めて九郎に微笑んだ。
「うん、色々と興味深かったですよ九郎。ありがとうございました」
「もういいのか?」
「ええ。十分楽しめました」
「……お前、何かの参考に、とか言ってなかったか?」
「さあ、そうでしたっけ?」
「自分で言いだした趣旨くらい最後まで守れ」
呆れながらに言うも、弁慶はすでにひらりと外套を翻しながらただ、にこりと笑っただけだったので、かわりに九郎が息を深く吐いた。
けれど、そんな九郎に、弁慶は穏やかに声をかける。
「ですが、参考になったのは本当ですよ」
「そうなのか?」
てっきり弁慶の方弁だと思っていたので、驚いた九郎が問い返すと、弁慶はなおもにこやかに答える。
「ええ。残念な事実が判明しました」
「残念? どうかしたのか?」
「そうなんです。君の好みは、随分と僕と違うみたいで」
「ん? そういえばお前の好みも聞」
「そうじゃなくて、君の理想と、僕自身が、ですよ」
「ああ、そういう事か。そういえばそうだな」
言われてみれば、そうだった。笑顔の弁慶同様、九郎も笑顔で納得し、頷いた。
も、当然に束の間だ。
「ってなななんでそこにお前が出てくる!?」
弁慶の言っている意味に気がついて九郎は一転、声を荒げた。
賑やかな二条通り、視線が九郎に突き刺さる、のは気のせいだったらよかった。ますます顔が赤くなるのを感じながら、今更だろうが九郎は口をつぐむ。
でも弁慶はお構いなく、なんでもない口調でなおも続けた。
「逆に聞きましょうか、九郎。君こそ、どうして僕の名前を出したくらいでそんなに驚くんですか?」
「普通驚くだろう!」
「そうかな? 僕だって、君と生涯を添い遂げる可能性はあるでしょう?」
「無い! 絶対に無い! 断じて無い!」
動揺しきったまま九郎はきっぱり否定する。また視線が刺さった気がしたが、それどころではない、というか。
彼お得意の冗談だろう、と思ってもいた。だというのに、既にどうしてこんな会話になったんだったか、それすらももう分からなくなっていたほどだ。
だけど、
「そうですか」
瞬間、弁慶がはっきりと落胆したのは、今の九郎にも分かった。
はっとする。そんな九郎に構わず、悲しみを大きな目にたたえた弁慶は、その一言だけを残して踵を返し、九郎から離れていった。
「!」
九郎はとっさに手を伸ばした。まさか、あんな顔させてしまうなんて思ってなかった!
「待て、待て弁慶!」
すると、弁慶はぴたり、と足を止め、あっけないほどに簡単に、くるりと振り向いた。
「はい、待ちます」
表情は先ほどとはいくらか違う……恨めしそうな顔、にも見える。が、実のところは分からない。
でも、振りかえった彼を見、九郎は印象を受ける。たぶん、なんにせよ、彼は九郎が呼びとめるのを知っていたような。
待ち構えていたような。
「おま……」
その事実に気付いた瞬間、九郎はさあっと、すごい勢いで血の気のひいていくのを感じた。
この際、弁慶の言葉の真偽はいい。
だが傷つけたと判じたから、九郎は彼を呼び止めた。だから今、九郎は謝ることになるわけで、そうするべきだ、
が、この状況で謝るということは、直前の自分の言葉を取り返すということだ。つまり、弁慶と添い遂げることになっても構わないと、つまり、彼が好きなのだと告げることになるじゃないか……!
「だっ、だから」
「だから?」
待てなんて言わなければよかった、なんて、後の祭りだ。じっとこちらを見つめる弁慶は、こうなった以上ただでひくはずがないのだから。
こうしていても仕方がないだろう。ああもう、と、かぶりを振ってから、九郎は言った。
「だから、その、お前は親友だろ? 好みじゃなかったかもしれんが、でも今までこうしてやってきたんだから、だから、今更お前の名前がでてきて、驚いたんだ。そう、それだけの事だ。悪かった」
そう。親友であるはずの弁慶が、いきなり変なことを言うから焦ったんだ。そういう事だ。多分。と、言ってみた所でなお、弁慶は止まったままの位置から、完全に疑心暗鬼のまなざしで九郎を見る。
「……なんだか、大事なところをはぐらかされている気がするな」
「そんなことはない」
そもそも、弁慶が話をずらしてきたんだ。九郎は内心冷や汗だったが、懸命に弁慶を見つめ返す。
と、いくらかの後、弁慶は再び九郎に歩み寄りつつ微笑んだ。
「仕方ないな、それで騙されてあげましょう」
「だましっ…」
てなど、いない!と言いかけた。でも、それでまたさっきのように墓穴でも掘ろうものなら九郎はいよいよ致命的な状況に追い込まれかねない、から、黙る。かろうじて。
そんな彼を見、弁慶は声を漏らして笑った。その様子は実に楽しそうで恨めしい。それでも。
「……ところで君はこの後、どこへ向かうつもりだったんですか?」
「ん? 景時のところだ」
「奇遇だな。僕もそうだったんですよ。では連れだって参りましょうか」
「……そうだな」
安堵の方が大きかったのもまた事実だった。笑顔で返せば、弁慶が今度こそ歩きだしたので、九郎もそれに続いた。
前を行く弁慶の外套が揺れる。よく見れば、下の方にいくらか草がついていた。手ぶらだが、また薬草でも摘んでいたのだろうか。
彼の薬草やそれに準ずるものに対する姿勢は、感心に値する、と、九郎は思う。曼荼羅やらなにやらのことはいい加減にしろと言いたいが、無数の薬草を知り、それを摘み集め薬を作る、ということはなかなかできないだろう。いい友人を持った。源氏の皆も頼もしく思っていてくれればいい。
思って、ついでのように気がついた。
「あれ、でもさっきの俺の話、」
……本人の言いまわしに難あり、だとしても、基本礼節を知り真摯さも持ち合わせていて。
笑顔が似合い、優しく、武術の心得があり、よく笑い、花が好き、って。
「どうかしましたか?」
「……いや、何も」
……本人はああ言っていたけど、九郎からしたら、それはあまりにも弁慶にあてはまるものばかりで。
可能性は……たしかに、あるかもしれなかった。
花好き→薬草好き
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