uc特設/ 忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 九郎が説明を終えると、彼女は礼を言いながらゆっくりと頭をさげる。心地よい声だった。長い髪もさらりと肩から落ちて、綺麗な流線を描いた。
 隣の侍女風の女もそれに続くと、きっと急ぐ旅だったのだろう、二人は九郎から離れ、あっという間に人ごみの中に消えていった。
 それでもなんとなく、九郎は視線をそちらに向けたままに立ち止まっていた。
 そこにかけられる、また別の声。
「なるほど」
 軽く驚いて、すぐさまに振り返ってしまうけれど、
それは声の主を確かめる為ではなく。
「弁慶」
「どうしました? まさか、君にこんなにも驚かれるなんて」
「こんなところでお前に会うと思ってなかったからな」
 というのが本音だったので、それを素直に告げる、と、弁慶は訝しみ。
「『こんなところ?』 京の二条の通りが?」
「あ、いや、その、確かにそうだが、だが」
「都合が悪いところを見られたから、肝が冷えた、のでしょう?」
「都合が悪い……? どこをどうしたらそう見えるんだ」
「ふふっ、あんなに美しいお嬢さん方といつ知り合ったんです? 君も隅におけないな」
「あの方たちは! たまたま道を聞かれただけだ!!」
「誤魔化さなくてもいいのに」
「邪推のしすぎだ」
 眉をひそめつつ九郎が真実を告げても、弁慶はからかうような視線をやめない。
 が、確かに、弁慶の声に驚いたのは、あの二人をぼんやりと見送っていたから、というのは否定できないな、とは思った。
 思えど、顔には出さぬように努めていたつもりだった。なのに途端、弁慶は更に、
「そうかな、あの身分の高そうな方、君の好みそうな女性だな、と思ったんですが」
さらりとした口調ではあったけど、そんな事を言う。
 九郎は怒ることもできずに言い淀むしかなかった。
「なっ、何を言うんだお前は! あの方に失礼だぞ!」
 弁慶はますます笑む。
「否定しない、ですか」
「それはっ、だな」
「まんざらでもなさそうですね。知らなかったな」
 かまをかけられた! と知るも遅い。遅すぎる。九郎は大きく息を吐くしかなかった。
 観念したと分かったのだろう、そんな九郎に、弁慶はこれみよがしにずずいと顔を寄せて。
「で、」
 続けながらにこりと笑う。嫌な予感。
「せっかくだから、聞いておこうかな」
「何を」
「君の好みを」
「……お前に言ってどうする」
「せっかくの機会ですから、参考に。いつかどこかで役に立つかもしれないですからね」
 弁慶は軍師で、彼が情報を集める有用性を九郎もよく知っている。
 だが、今、どうみてもそれは本心には見えなかった。すがすがしいほどにいい笑顔なのがそれに拍車をかけている。好奇心が垣間見えている。もし犬だったら……弁慶と犬、など、似ても似つかない、ありえないけど、でも仮に、もし犬だったらそうだとしたら、尻尾がゆさゆさと揺れているだろうな、と思った。金は元気だろうか。
 と、九郎は全く取り合うつもりはなかった。断じてなかった。
 だというのに。
「そうですね、たとえば、礼儀正しい人、好きでしょう?」
 問われたら。
「それは、人として当然だろう」
 そう、九郎にとって、礼儀はなにより重きを置くもので、あまりにも当然の事を当然のように聞いてきたものだから。
「君らしいな。では他には……笑顔が似合うとか?」
「それもそうだろう」
「他は…優しい人とか好きかな、君は」
「…………まあ、そうだな」
「外見はどうですか? 華奢な姫君とか、守りがいがあるでしょう?」
「いや、それよりは、いくらか戦える方が頼もしい」
「望美さんみたいな?」
「あれはそうそういないだろう」
「ふふっ、それは冗談ですが、でも意外でした。いや、君らしいのかな。君は剣術しか知らないから」
「そんなこともない」
 気付けば、すらすらと答えていた。
「他には?」
「そうだな……やっぱりその、なんだ、誠実であって欲しいと思う」
「ふふっ、君に対して?」
「そうじゃない! 仲間に対して、というか……とにかく、そんな感じだ」
「はいはい」
 好みということは自分が認める人間、ということだから、そういう相手にもそのように……清廉潔癖までとは行かずとも、胸を張っていられるような生き方をしていて欲しい、と言いたかった、
のだが、弁慶のあまり褒められたものではない風に歪む瞳を見る限り、多分、伝わってない。
「勝手に取り違えるな」
「そんなことないですよ。君とどれだけ一緒にいると思ってるんですか」
「それはそうだが…」
 こういう時に、稀にだけど思うこともある。自分も弁慶ほどに口が立てば、と、羨むこともある。
 ……そう考えれば。
「ああ、花好き、とかもいいな」
「……好みの女性の話、ですか?」
「ああ」
 頷くと、弁慶は今までで一番目を丸くし、九郎を見上げる。
「君、花に興味があったんですか?」
「俺はない。が、だからこそだ。興味のあることが少しずれてたら、それもいいじゃないか」
 と、今弁慶と喋っていて思ったのだった。結局、弁慶のそれだけ口のまわるところを好ましく思ってここまで友としてやってきた、そんな気がした。
「花、ねえ」
 その後しばらく、弁慶は心底意外だと言わんばかりに、口元に手を置き九郎を見上げていた。
「笑うな」
「笑ってなんていませんよ。それだけ君の口から、花、という言葉が出てきたことが意外だったんです」
「悪いか」
「いえ、君らしいと思いますよ」
 そしてようやく納得したのか、言うと改めて九郎に微笑んだ。
「うん、色々と興味深かったですよ九郎。ありがとうございました」
「もういいのか?」
「ええ。十分楽しめました」
「……お前、何かの参考に、とか言ってなかったか?」
「さあ、そうでしたっけ?」
「自分で言いだした趣旨くらい最後まで守れ」
 呆れながらに言うも、弁慶はすでにひらりと外套を翻しながらただ、にこりと笑っただけだったので、かわりに九郎が息を深く吐いた。
 けれど、そんな九郎に、弁慶は穏やかに声をかける。
「ですが、参考になったのは本当ですよ」
「そうなのか?」
 てっきり弁慶の方弁だと思っていたので、驚いた九郎が問い返すと、弁慶はなおもにこやかに答える。
「ええ。残念な事実が判明しました」
「残念? どうかしたのか?」
「そうなんです。君の好みは、随分と僕と違うみたいで」
「ん? そういえばお前の好みも聞」
「そうじゃなくて、君の理想と、僕自身が、ですよ」
「ああ、そういう事か。そういえばそうだな」
 言われてみれば、そうだった。笑顔の弁慶同様、九郎も笑顔で納得し、頷いた。
 も、当然に束の間だ。
「ってなななんでそこにお前が出てくる!?」
 弁慶の言っている意味に気がついて九郎は一転、声を荒げた。
 賑やかな二条通り、視線が九郎に突き刺さる、のは気のせいだったらよかった。ますます顔が赤くなるのを感じながら、今更だろうが九郎は口をつぐむ。
 でも弁慶はお構いなく、なんでもない口調でなおも続けた。
「逆に聞きましょうか、九郎。君こそ、どうして僕の名前を出したくらいでそんなに驚くんですか?」
「普通驚くだろう!」
「そうかな? 僕だって、君と生涯を添い遂げる可能性はあるでしょう?」
「無い! 絶対に無い! 断じて無い!」
 動揺しきったまま九郎はきっぱり否定する。また視線が刺さった気がしたが、それどころではない、というか。
 彼お得意の冗談だろう、と思ってもいた。だというのに、既にどうしてこんな会話になったんだったか、それすらももう分からなくなっていたほどだ。
 だけど、
「そうですか」
瞬間、弁慶がはっきりと落胆したのは、今の九郎にも分かった。
 はっとする。そんな九郎に構わず、悲しみを大きな目にたたえた弁慶は、その一言だけを残して踵を返し、九郎から離れていった。
「!」
 九郎はとっさに手を伸ばした。まさか、あんな顔させてしまうなんて思ってなかった!
「待て、待て弁慶!」
 すると、弁慶はぴたり、と足を止め、あっけないほどに簡単に、くるりと振り向いた。
「はい、待ちます」
 表情は先ほどとはいくらか違う……恨めしそうな顔、にも見える。が、実のところは分からない。
 でも、振りかえった彼を見、九郎は印象を受ける。たぶん、なんにせよ、彼は九郎が呼びとめるのを知っていたような。
 待ち構えていたような。
「おま……」
 その事実に気付いた瞬間、九郎はさあっと、すごい勢いで血の気のひいていくのを感じた。
 この際、弁慶の言葉の真偽はいい。
 だが傷つけたと判じたから、九郎は彼を呼び止めた。だから今、九郎は謝ることになるわけで、そうするべきだ、
が、この状況で謝るということは、直前の自分の言葉を取り返すということだ。つまり、弁慶と添い遂げることになっても構わないと、つまり、彼が好きなのだと告げることになるじゃないか……!
「だっ、だから」
「だから?」
 待てなんて言わなければよかった、なんて、後の祭りだ。じっとこちらを見つめる弁慶は、こうなった以上ただでひくはずがないのだから。
 こうしていても仕方がないだろう。ああもう、と、かぶりを振ってから、九郎は言った。
「だから、その、お前は親友だろ? 好みじゃなかったかもしれんが、でも今までこうしてやってきたんだから、だから、今更お前の名前がでてきて、驚いたんだ。そう、それだけの事だ。悪かった」
 そう。親友であるはずの弁慶が、いきなり変なことを言うから焦ったんだ。そういう事だ。多分。と、言ってみた所でなお、弁慶は止まったままの位置から、完全に疑心暗鬼のまなざしで九郎を見る。
「……なんだか、大事なところをはぐらかされている気がするな」
「そんなことはない」
 そもそも、弁慶が話をずらしてきたんだ。九郎は内心冷や汗だったが、懸命に弁慶を見つめ返す。
 と、いくらかの後、弁慶は再び九郎に歩み寄りつつ微笑んだ。
「仕方ないな、それで騙されてあげましょう」
「だましっ…」
てなど、いない!と言いかけた。でも、それでまたさっきのように墓穴でも掘ろうものなら九郎はいよいよ致命的な状況に追い込まれかねない、から、黙る。かろうじて。
 そんな彼を見、弁慶は声を漏らして笑った。その様子は実に楽しそうで恨めしい。それでも。
「……ところで君はこの後、どこへ向かうつもりだったんですか?」
「ん? 景時のところだ」
「奇遇だな。僕もそうだったんですよ。では連れだって参りましょうか」
「……そうだな」
 安堵の方が大きかったのもまた事実だった。笑顔で返せば、弁慶が今度こそ歩きだしたので、九郎もそれに続いた。
 前を行く弁慶の外套が揺れる。よく見れば、下の方にいくらか草がついていた。手ぶらだが、また薬草でも摘んでいたのだろうか。
 彼の薬草やそれに準ずるものに対する姿勢は、感心に値する、と、九郎は思う。曼荼羅やらなにやらのことはいい加減にしろと言いたいが、無数の薬草を知り、それを摘み集め薬を作る、ということはなかなかできないだろう。いい友人を持った。源氏の皆も頼もしく思っていてくれればいい。
 思って、ついでのように気がついた。
「あれ、でもさっきの俺の話、」
 ……本人の言いまわしに難あり、だとしても、基本礼節を知り真摯さも持ち合わせていて。
 笑顔が似合い、優しく、武術の心得があり、よく笑い、花が好き、って。
「どうかしましたか?」
「……いや、何も」
 ……本人はああ言っていたけど、九郎からしたら、それはあまりにも弁慶にあてはまるものばかりで。
 可能性は……たしかに、あるかもしれなかった。




 花好き→薬草好き
 「君の僕と僕の僕」

PR
日記にも書きましたが、しばらくこのブログはお休みします
また再開とか、突発で何か書くことがあったら日記でお知らせするつもりです(少なくともしばらくは)
 高館まであと半刻、といったあたりで、弁慶の視界に見慣れた色彩が飛び込んできた。
 林の先、ごろごろと大きな岩が転がっている向こうで、しかもこちらを向いていないから定かではない、けれど、あんなふうにくるりと癖のある橙の髪を高く結いあげ、山の高くから滑り落ちてくる風にそよそよと揺らしている人物を、弁慶は良く知っていて、そしておそらくあれも彼だろうと思った。
「九郎!」
 声をかけると人影は振り返った。やはり九郎だった。
「弁慶! おかえり!」
 すかさず彼は、遠目にも分かる笑顔とともに、俊足でこちらにかけよってきた。
「待ちわびだぞ。すっかり腹がぺこぺこだ」
「ええ、遅くなりました……ですが」
 そんな彼に、弁慶は大きく目を見開いて立ち止まってしまった。
「俺が待ってたから驚いたんだろ?」
「それは、まあ、そうでしょう。僕、何も言っていなかったのに、どうして」
「勘、というやつだな」
 目前までやってきた九郎は実に誇らしげだった。けれど……弁慶が今日、ここに帰ってくることなど全く、それこそ平泉を離れた時に「多分2ヶ月くらいで戻ります」と言ったこと以外、何も知らなかった九郎がこうして待っていた事も驚くべきだったけれど、それでも九郎の勘は時として異様によく働く事を弁慶は既に知っていたので、
本当に驚いたのは、そこではなく、
「……しばらく見ないうちに見違えましたね、九郎」
というほうがよほど、気になった。
「ああそうだろう」
「なにかあったんですか?」
 どこか自慢気に肯定する九郎に、真正面から問わずにはいられなかった。
 弁慶が離れる前、九郎はまだまだ子供、といった風体でしかなかった。実際弁慶よりも3つも年下なんだからそう見えて当然だったのかもしれない、けど、
それが今や、まるで別人のようで、あどけなさもないわけじゃなかったけれど、どちらかといえば、青年的な若々しさ、と言った方が近い。凛々しささえも感じるほどだ。これは実は九郎ではなく、彼の年の近い兄だ、と言われた方が納得しそうなほどだった、実際そんな人物がいるのかは知らないけれど。
 声も少しだけど変わっていた。九郎はもともとそんなに声音の高い子供ではなかったけれど、いくらか低くなり、いくらかかすれている。
 弁慶はかける言葉を完全に見失っていた。まさか、たった2月でこんなにも様変わりするなんて。
 そんな弁慶に気付きもしないで、九郎は先ほどのように上機嫌に語る。
「お前がいなくなってから、御館のところに控えている方たちによくしてもらったんだ。武士としての志や、ふるまいを教えてもらった。稽古もつけてもらった。やはり強い方が多いな。あと、御館には、狩りにも連れて行ってもらったぞ。泰衡も一緒だった。あいつもあまり弓は上手くなかった」
「ああ、それで」
 口を開けば、やはり無邪気さが混ざる。九郎だ。それでもやはり、以前までのものとはどこか一線を画すると言わざるを得ない雰囲気を持ち合わせていた。
 とはいえ、彼本人の言葉でようやく納得がいった。そういうことか。
「平泉に来てよかったですね、九郎」
「ああ!」
 頷く様にも若干の頼もしさが混じっているようにさえ感じた。
 やはり環境というのは大事だ、九郎はここに来て正解だったのだろう。それは、とてもいい事だ、けれど同時に弁慶は少し困った。……正面から見ていると、妙な気まずさを感じる。この僕が、と思えど、繕うことがやっとという体たらく。そもそも繕えればこんなに動揺することもないのだけれど。
 気分は、背水の陣。
「背もだいぶ伸びたぞ」
 ついせわしなく瞬いてしまう弁慶に、腰に手を当て九郎は更に言った……本人その気はないのは分かっているけれど、完全な追いうちだった。
 襟元をつかみ息を抑えながら改めて彼を見やると、確かに隣に並ぶ頭の位置が以前と違うような気がする。
「多分、お前よりも高いんじゃないか?」
「そんなことはないでしょう」
「いいや、高い」
「言い切りますね」
「お前こそ認めないな」
 そりゃ、九郎に抜かれたとなったら悔しい、というのを差し引いても、自分の方がまだ目線が高いように思えた。
「だったら、測ってみましょうか」
「望むところだ」
 丁度近くに適当な木があったのを見、共に頷いた。
 まず、九郎が弁慶の背丈の所に腰差で傷をつけた。交代して、今度は九郎を木の前に立たせる。と。
「……まさか」
「ほら、俺の方が高いだろ?」
「一寸の半分の、その半分にも満たないほんの少しの違いだけです」
「それでも勝ちは勝ちだ」
 九郎は木に持たれるのをやめ、弁慶の鼻先にまで近づき、高らかに告げた。真正面から交差する視線。
「……」
 きらきらと光る瞳が弁慶を覗き窺う。まっすぐで、けれど、いくらか細められているせいだろうか、与える印象は随分と優しく、人懐っこい。元々、人の目を引く雰囲気や笑顔を持っていた九郎、とはいえ、これは、ちょっと。
「どうした、言葉も出ないほど悔しかったのか?」
「いえ、そうじゃなくて……」
 たぶん、やりとり自体を文字にすれば、いくらかも変わってないはずだ。ずっとこんなだったし、なによりいくら周りに武士としての師がたくさんできたからって、たかが2月でそこまで変わられたら困る。
 要は、見た目と声だ。外見だけだ。分かっているのについ、口元を手で覆いながら一歩下がってしまう。
 言うなれば、完全に見惚れていた。
「弁慶?」
 九郎は不思議そうだ。当たり前だろう、弁慶自身にとってもこの動揺はありえない。
「すみません、君があまりにもいい男になっていたので、照れてしまって」
「褒めても何も出ないぞ」
 嘘もつけず本音を口にしたけれど、幸いにして都合よく九郎が冗談だと受け取ってくれたようだ、けれど……それすらも、九郎にはあるまじきことだったはずだ。
「君は……本当に変わったんですね」
 改めてまじまじと九郎を眺めると、ようやく九郎がいつものように髪を揺らしながら照れてふてくされた。
「さっきからなんなんだ!? しつこいぞ」
「そうですね」
 それに、弁慶もようやく少しだけ笑えた。やはり九郎はこれくらいの方が安心する……なんて、重症だ。外套を握りしめながら大きくため息をついた。
「弁慶お前、本当に平気なのか? よく見ればぼんやりしているみたいだけど」
「君の顔をみたらどっと旅の疲れが出たのかも。一晩寝ればなおりますよ、多分」
 確証はなかった。けれどそうであれと、久しぶりに九郎を見たから、少し自分は舞いあがってしまっているだけであって欲しい、と願わずにはいられなかった。
 生じた感情は、善し悪しで分けるなら、まず善だ、けれどもこのままだったら、毎日こんなに九郎の一挙一動に目を奪われ続けたら、幾日も持たずに参る。きっと九郎を短気だとからかえないほどに。
 ……もしかしたら彼の短気すらもなくなっていたりするのだろうか。いやまさか。
「そうか、だったらいいな」
 こちらの気も知らずに、九郎は全く呑気に言う。弁慶は静かに顔を背け目を伏せた。
 もしこれが今日一日限りの幻術かなにかでないのならば、せめて早く慣れてしまいたい、と、切に思った。恋の駆け引きを楽しめるくらいには。

1  2  3  4  5  6 

忍者ブログ [PR]