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目覚めてすぐに感じたこと。それはこんなにも変わり映えしないものなのか、ということだった。
意図して好きだと告げたわけではなかった。
恋に気付いてもうすぐ1年だろうか、だが九郎はまったく想いを告げるつもりはなかった。それは彼と暮らした5年以上にも及ぶ月日のせいだ。微笑みを向けられ楽しそうに笑うその声を聞くだけで息が詰まるほどに彼に恋していたけれど、それでもここまで重ねた年月が九郎の口を封じてしまっていた。
なのにするりと、本当にするりと不用意に言ってしまったのは、ただの話の流れ。勢いもなにも一切なく、迂闊、の一言が似合いの状況だった。
もしかしたら全ては夢だったのではないだろうか、と、思うほどにあっけなく。
……むしろ、本当に夢だったのかもしれない。それほどに今、瞼を開けるなり映った天井はいつもどおりで、その他の部屋の中の景色も、頭の覚醒具合もまったくいつもどおりだった。
むくりと起きあがり、掛けておいた衣に袖を通し帯を締め襟を整え、顔を洗えばなおさらに。
それでもただ、手のひらに唇に、ぼんやり残る感触、それは九郎が今まで見てきた夢のどれよりも鮮明だったから、やはり夢ではないのだろうな、と……希望混じりとはいえ、思うことはできた。
だって覚えてる。あの時の彼の微笑みも。
つい零れてしまった言葉を、知られてしまった気持ちをきちんと言いなおしたら、弁慶は驚いた。驚いて、暫く呆然としていた、けれどふいに微笑み「そうですか」とふわりと告げた。九郎はただ「そうだ」と頷くしかできなかった。自分でも動揺していたので、それが精一杯で、近づく事も遠ざかる事も、言葉を重ね彼に想いを確認することもできなかった。弁慶はそんな九郎の手をとった。そして「だったら接吻でもしてみましょう」と、唇に唇で触れた。
ただそれだけの事柄。だけど。
よし、と気合を入れ、朝餉を取ろうと部屋を出たところで、偶然にも弁慶にはち合わせた。同じ家に住んでいるわけだし、その上そう大きな屋敷でもない、というのに、まさに不意打ちを食らった九郎は慌てた。
「べ、弁慶!」
「九郎、おはようございます。よかった丁度君を起こしに行くところだったんですよ。眠れなかったんですか?」
「そりゃ、まあ」
突然の遭遇な上、早々に図星を指されて九郎は口ごもる。そう、日常と唯一異なっていたのが起床時間。いつも通りに起きたつもりだったが、どうやらかなり寝坊をしていたらしい、と、身支度をしている途中で気がついた。理由は明白。昨日の弁慶とのいきさつのせいで、そういえば夜寝付けなかったから。
でも、動揺を隠せない九郎に、弁慶はただにこりと微笑んで続ける。
「しっかりしてください。今日は大事なお務めの日でしょう? その恰好を見るに、どうやら忘れてはいなかったらしいけれど」
「当たり前だ!」
「なら、よかった。もっとも君が君の兄上からの言いつけを忘れるなんてまずあり得ませんけどね。ああ、そうそう、今日ご一緒する佐藤殿ですが、どうやら他に急ぎの用ができたということなので、ここに到着するのは昼近くになるようですよ。よかったですね」
「何が」
「元の日程のままだったら、お待たせしていたかもしれませんからね」
「……俺もたしかに寝坊したが、お前もいつもより早いぞ」
「ええ、君の事が気がかりだったので、早起きしましたから」
それは、いつもの彼そのものの姿だった。九郎はじっと見つめる。けれど、弁慶は平然と、悠然と九郎を見つめ返す。
「どうしました?」
「いや、なんでもない」
首をかしげるその仕草も通常そのもの。その姿に、ゆっくりと、九郎は自分の心が沈んでゆくのを感じた。だってあまりにも、そうあまりにも、
「……変わらないな」
でも、言うつもりはなかった。あ。と思った時には遅かった。遅すぎた。昨日と同じだ、完全に無意識のうちに声が零れていた。しまった、と狼狽するも、
「変わらない?」
昨日と同様、そのままそっくり返された。九郎は更に言葉に詰まる。こんなところも、そして拳を握りしめてなんとか言葉を紡ぐところも、同じ。
「だ、だからその、俺とお前は昨日せっせせせっ」
ということはやはり九郎の気のせいなんかじゃなく。
「接吻?をした?」
「そ、そうだ」
やはり自分と彼は、
「ってことは、こっ……こっ」
「恋仲?」
「ああ、恋仲になったんだろう? なのに……ん、なんだ?」
「いえ、予想を裏切らない反応だな、と思って」
事実があるはずなのに、なのに彼の言葉は平坦だった。それはつまり……、と、結論が九郎の口から吐いて出るより先に弁慶がいきなり満面の笑みを浮かべた。
「ですが、そうですね、だったら期待を裏切ってはいけないですね」
そして唐突に両手で九郎の手を包む。鼓動が跳ね上がった。想いに気付いてしまってから昨日までの約一年、九郎が気軽に触れることのできなくなっていたものがあっさりと。息を飲む。
けれど彼の名を呼ぶ隙も与えず弁慶は、すっと顔を近づけじっと九郎を見つめる。それは彼の癖だ、分かっていても少し動けば再び唇で触れあえる距離。
「本当は、こんなに早起きするつもりなんて、なかったんですよ。先程も言いましたが、君が鎌倉殿からの命を違えるはずありませんから」
優しい笑みで彼は告げた。
「ですが、今朝君の夢を見て、昨日の事を思い出してしまって……『君の事が気がかりで』早起きしてしまった」
紡がれたそれは……声音も響きも何もかも甘い。
「丁度よかった。出る前に、少し君と時間を過ごせそうですね」
甘すぎた。あまりにも。
過ぎた甘さは苦みに変わる。毒のように心を刺す。
そして醒める。
「ふざけるな!」
九郎は思い切り弁慶を突き飛ばした。ドン、と彼が戸にぶつかり顔をしかめる、けど、構わず九郎は叫んだ。
「俺は嘘をつかれるのが嫌いだ! お前だって…お前なら知ってるだろう!?」
「九郎?」
「なのに……そんなもの、同情なんか要るか!」
ほらやはり夢だったんだ。
「そうじゃないならまたいつもみたいに俺のことをからかって遊んでるんだろう!?馬鹿にして……もういい、出てってくれ顔も見たくない!」
彼が九郎の想いを受け取ってくれるなど、幻想でしかなかったんだ。
そう考えれば納得が要った。都合が良すぎると思っていたんだ。普通、もっと驚くだろう、長年の友から好きだとか言われれば。自分はそうだった。最初に気付いた時にはいっそほの暗い感覚に陥った。昨日彼に拒絶されなかったときはもっとだ。口づけしてから寝るまでの記憶がほとんどない。今だってこんなにも動揺しているというのに、
なのに弁慶はちっともそんな風を見せない。平常を崩さない。一向に。
元々の性格の違いもあるだろう、経験の差……みたいなものもあるのかもしれない、でも、それよりもっと……あまりにも悠然としすぎている。きっとただ、九郎に合わせているだけなのだろう。
弁慶からすれば九郎など、取るに足らない存在だと、もしかしたら親友と思っていたのさえ九郎の一方的なものだったのかもしれないと、
「……なんでお前にこんなこと…………」
悔しかった。歯牙にもかからぬ存在でしかないことが悔しかった。
好きなのに。こんなにも……本気の想いしか要らぬほどに好きなのに。
俯き、うなだれる。つくづく昨日の己の迂闊さを呪った。いや、恋心など抱いたのがそもそも間違いだったんだ。でも遅い。せめて今からでも忘れようと頭を振ってみた。
と、そこで、くすくすと笑い声がした。
誰かに見られていたのか、と、九郎は慌て顔をあげる。が、笑っていたのは他の誰でもない弁慶で、
「ふふっあはははははっ」
こらえようともせず、九郎の目の前で体を折り曲げ笑っていた。
「……!!」
もはや怒りと絶望で九郎は声も出せなかった。もう待てない。一刻も早く弁慶の前からいなくなりたい!
思い振り返ろうとした時、腕を掴まれた。
「離せ!」
勢いに任せて振り払う。が、
「ほんとに…君の行動は」
直前に手を離した弁慶は横に跳ねる。金と黒の影に九郎が捕われた、その隙に眼前に迫り、
「こんなに分かりやすいのに」
押さえつけるように強い力で両肩を掴まれた。
「離さなけば、今度は本気で行くぞ」
「さっきのも本気でしょう?まったく」
震えも構わず九郎は言った。が、弁慶も射るようにまっすぐに九郎を見上げ、
「はじめからではなかった、けれど、君の気持ちは分かっていた」
なのにその声は至って穏やかで、まるで波のない湖のようだった。そして唐突な内容。
九郎は面食らい、いささか怯む。
「なんだ、突然」
「『突然』はこちらの台詞ですよ。そう、君はこんなに分かりやすいのに、時々思いもよらない事する。まさか昨日、あんなに急に言われるなんて、思ってもみなかったんですから」
声音とは裏腹に、責めるような目だと思った。それはつまり、九郎が急に言ったものだから断りの言葉を用意できていなかった、と、
「僕がどれだけ驚いたか、君に伝えられればいいのに。眠れなかったし、今だって……君にどう接すればいいのか決めかねている」
……最初は素直に思った。けれど。
「べ、んけい?」
「ところで九郎、君はさっき言いましたね、『変わらない』と。だったら君は、どうしたい?」
「どう、って、何の」
「君は僕が好きだと言う。そして僕たちは恋仲になった。その僕がここにいる。だったら、君は今どうしたい? 何をしたい?」
弁慶はなおもまっすぐに九郎を見つめる。微かに下から見上げる大きな目。それは……想いを告げたのは九郎の方だった、九郎だけだった筈だなのに?
「それは……」
もしかして。
目は口ほどに物を言う。それが確かだというならば。
「……抱きしめたい」
話の飛躍もお構いなしに、先ほどまでの激昂も置き去りに九郎はそう本音で答えていた。
「ささやかですね」
軽やかな声と共に、彼は九郎の肩からそっと手を離し、ゆっくりと降ろした。そのまま留まる。まるで九郎を待っているかのような姿。
戸惑いながらも九郎は控えめに抱き寄せた。柔らかでもないし、すっぽり収まった、とも言い難い体躯。こうするのははじめてではない筈だ、それでも、まるではじめてだと錯覚するほどに、どうしようもなく気恥ずかしい。そんなこちらの心を知ってか知らずか、弁慶はことりと九郎の頬に頭を預けて笑う。
「なんだかくすぐったい」
ふわふわと髪が頬を撫でる。あらゆる意味でそれは九郎の台詞だ、と言いたかったけれど、あまりに胸が苦しくて言葉を紡げなかった。
僅かな後、彼は今度は九郎の背に手をまわした。つい体がこわばってしまう、と、また弁慶が楽しそうに笑いを零してから言った。
「それにしても、あんなにも君が怒るとは思わなかったな。そんなに僕が好きだったんですね」
「……ああ、そうだ」
お前の態度だってあんまりだった、と言いたくもなるような弁慶の言い草だったが、彼の言葉は事実だったので、九郎は頷いた。すると弁慶がこちらを向いた気配がした。見ればふわりと微笑んでいた。
「君は堅苦しく考えすぎなんです。君は僕が好きで、そして僕も君を拒絶しなかった。だからといって、その事実を確認した、ただそれだけで次の日からいきなり豹変できるほど、君は器用じゃないでしょう? そして僕も」
「だが」
だからといって一切何も変わらないのも、と、一度流れてしまった想いをせき止められない九郎は主張しようとしたけれどやはり弁慶に遮られる。
「こんな風に僕を抱きしめたい、と思っていたのに、それすらできなかった君が?」
「う」
それには反論できなかった。確かに……弁慶が普段通りにしていたら、九郎もいつまでそうしていたかは分からない。
「ですが、僕も不義理でしたね。もしかしてまだ、僕が同情や義理で承諾したと、お勘違いしていますか?」
「それは」
ない、と、九郎は今なら思えた。すると弁慶が再びことりと九郎に頭を預けた。
「それはよかった。なら難しく考えないで。君が言いたいことを言えばいい。したいようにすればいい」
そしてそれきり黙った。沈黙は今までになく息苦しい。身じろぎさえできず、腕に力がこもってしまっているのが自分でも分かった。けれどどれも不快ではなかった。静寂は心地よく、触れあう頬は熱く重なる体は暖かく。ただ困惑は消えない。成程彼の言うとおりだった。変わりたい、願えど、いきなりさっき弁慶がしたような振る舞いや甘い言葉など浮かびやしない。
でも、『したいようにすればいい』なら……、それで構わないなら。
「だったら、もう少しこのままで」
素直に告げれば、弁慶がくすりと笑う。ただそれだけの仕草で思い知る。
彼に想いを伝えて良かった。
焦がれた相手が弁慶で、彼を好きになって良かった。
意図して好きだと告げたわけではなかった。
恋に気付いてもうすぐ1年だろうか、だが九郎はまったく想いを告げるつもりはなかった。それは彼と暮らした5年以上にも及ぶ月日のせいだ。微笑みを向けられ楽しそうに笑うその声を聞くだけで息が詰まるほどに彼に恋していたけれど、それでもここまで重ねた年月が九郎の口を封じてしまっていた。
なのにするりと、本当にするりと不用意に言ってしまったのは、ただの話の流れ。勢いもなにも一切なく、迂闊、の一言が似合いの状況だった。
もしかしたら全ては夢だったのではないだろうか、と、思うほどにあっけなく。
……むしろ、本当に夢だったのかもしれない。それほどに今、瞼を開けるなり映った天井はいつもどおりで、その他の部屋の中の景色も、頭の覚醒具合もまったくいつもどおりだった。
むくりと起きあがり、掛けておいた衣に袖を通し帯を締め襟を整え、顔を洗えばなおさらに。
それでもただ、手のひらに唇に、ぼんやり残る感触、それは九郎が今まで見てきた夢のどれよりも鮮明だったから、やはり夢ではないのだろうな、と……希望混じりとはいえ、思うことはできた。
だって覚えてる。あの時の彼の微笑みも。
つい零れてしまった言葉を、知られてしまった気持ちをきちんと言いなおしたら、弁慶は驚いた。驚いて、暫く呆然としていた、けれどふいに微笑み「そうですか」とふわりと告げた。九郎はただ「そうだ」と頷くしかできなかった。自分でも動揺していたので、それが精一杯で、近づく事も遠ざかる事も、言葉を重ね彼に想いを確認することもできなかった。弁慶はそんな九郎の手をとった。そして「だったら接吻でもしてみましょう」と、唇に唇で触れた。
ただそれだけの事柄。だけど。
よし、と気合を入れ、朝餉を取ろうと部屋を出たところで、偶然にも弁慶にはち合わせた。同じ家に住んでいるわけだし、その上そう大きな屋敷でもない、というのに、まさに不意打ちを食らった九郎は慌てた。
「べ、弁慶!」
「九郎、おはようございます。よかった丁度君を起こしに行くところだったんですよ。眠れなかったんですか?」
「そりゃ、まあ」
突然の遭遇な上、早々に図星を指されて九郎は口ごもる。そう、日常と唯一異なっていたのが起床時間。いつも通りに起きたつもりだったが、どうやらかなり寝坊をしていたらしい、と、身支度をしている途中で気がついた。理由は明白。昨日の弁慶とのいきさつのせいで、そういえば夜寝付けなかったから。
でも、動揺を隠せない九郎に、弁慶はただにこりと微笑んで続ける。
「しっかりしてください。今日は大事なお務めの日でしょう? その恰好を見るに、どうやら忘れてはいなかったらしいけれど」
「当たり前だ!」
「なら、よかった。もっとも君が君の兄上からの言いつけを忘れるなんてまずあり得ませんけどね。ああ、そうそう、今日ご一緒する佐藤殿ですが、どうやら他に急ぎの用ができたということなので、ここに到着するのは昼近くになるようですよ。よかったですね」
「何が」
「元の日程のままだったら、お待たせしていたかもしれませんからね」
「……俺もたしかに寝坊したが、お前もいつもより早いぞ」
「ええ、君の事が気がかりだったので、早起きしましたから」
それは、いつもの彼そのものの姿だった。九郎はじっと見つめる。けれど、弁慶は平然と、悠然と九郎を見つめ返す。
「どうしました?」
「いや、なんでもない」
首をかしげるその仕草も通常そのもの。その姿に、ゆっくりと、九郎は自分の心が沈んでゆくのを感じた。だってあまりにも、そうあまりにも、
「……変わらないな」
でも、言うつもりはなかった。あ。と思った時には遅かった。遅すぎた。昨日と同じだ、完全に無意識のうちに声が零れていた。しまった、と狼狽するも、
「変わらない?」
昨日と同様、そのままそっくり返された。九郎は更に言葉に詰まる。こんなところも、そして拳を握りしめてなんとか言葉を紡ぐところも、同じ。
「だ、だからその、俺とお前は昨日せっせせせっ」
ということはやはり九郎の気のせいなんかじゃなく。
「接吻?をした?」
「そ、そうだ」
やはり自分と彼は、
「ってことは、こっ……こっ」
「恋仲?」
「ああ、恋仲になったんだろう? なのに……ん、なんだ?」
「いえ、予想を裏切らない反応だな、と思って」
事実があるはずなのに、なのに彼の言葉は平坦だった。それはつまり……、と、結論が九郎の口から吐いて出るより先に弁慶がいきなり満面の笑みを浮かべた。
「ですが、そうですね、だったら期待を裏切ってはいけないですね」
そして唐突に両手で九郎の手を包む。鼓動が跳ね上がった。想いに気付いてしまってから昨日までの約一年、九郎が気軽に触れることのできなくなっていたものがあっさりと。息を飲む。
けれど彼の名を呼ぶ隙も与えず弁慶は、すっと顔を近づけじっと九郎を見つめる。それは彼の癖だ、分かっていても少し動けば再び唇で触れあえる距離。
「本当は、こんなに早起きするつもりなんて、なかったんですよ。先程も言いましたが、君が鎌倉殿からの命を違えるはずありませんから」
優しい笑みで彼は告げた。
「ですが、今朝君の夢を見て、昨日の事を思い出してしまって……『君の事が気がかりで』早起きしてしまった」
紡がれたそれは……声音も響きも何もかも甘い。
「丁度よかった。出る前に、少し君と時間を過ごせそうですね」
甘すぎた。あまりにも。
過ぎた甘さは苦みに変わる。毒のように心を刺す。
そして醒める。
「ふざけるな!」
九郎は思い切り弁慶を突き飛ばした。ドン、と彼が戸にぶつかり顔をしかめる、けど、構わず九郎は叫んだ。
「俺は嘘をつかれるのが嫌いだ! お前だって…お前なら知ってるだろう!?」
「九郎?」
「なのに……そんなもの、同情なんか要るか!」
ほらやはり夢だったんだ。
「そうじゃないならまたいつもみたいに俺のことをからかって遊んでるんだろう!?馬鹿にして……もういい、出てってくれ顔も見たくない!」
彼が九郎の想いを受け取ってくれるなど、幻想でしかなかったんだ。
そう考えれば納得が要った。都合が良すぎると思っていたんだ。普通、もっと驚くだろう、長年の友から好きだとか言われれば。自分はそうだった。最初に気付いた時にはいっそほの暗い感覚に陥った。昨日彼に拒絶されなかったときはもっとだ。口づけしてから寝るまでの記憶がほとんどない。今だってこんなにも動揺しているというのに、
なのに弁慶はちっともそんな風を見せない。平常を崩さない。一向に。
元々の性格の違いもあるだろう、経験の差……みたいなものもあるのかもしれない、でも、それよりもっと……あまりにも悠然としすぎている。きっとただ、九郎に合わせているだけなのだろう。
弁慶からすれば九郎など、取るに足らない存在だと、もしかしたら親友と思っていたのさえ九郎の一方的なものだったのかもしれないと、
「……なんでお前にこんなこと…………」
悔しかった。歯牙にもかからぬ存在でしかないことが悔しかった。
好きなのに。こんなにも……本気の想いしか要らぬほどに好きなのに。
俯き、うなだれる。つくづく昨日の己の迂闊さを呪った。いや、恋心など抱いたのがそもそも間違いだったんだ。でも遅い。せめて今からでも忘れようと頭を振ってみた。
と、そこで、くすくすと笑い声がした。
誰かに見られていたのか、と、九郎は慌て顔をあげる。が、笑っていたのは他の誰でもない弁慶で、
「ふふっあはははははっ」
こらえようともせず、九郎の目の前で体を折り曲げ笑っていた。
「……!!」
もはや怒りと絶望で九郎は声も出せなかった。もう待てない。一刻も早く弁慶の前からいなくなりたい!
思い振り返ろうとした時、腕を掴まれた。
「離せ!」
勢いに任せて振り払う。が、
「ほんとに…君の行動は」
直前に手を離した弁慶は横に跳ねる。金と黒の影に九郎が捕われた、その隙に眼前に迫り、
「こんなに分かりやすいのに」
押さえつけるように強い力で両肩を掴まれた。
「離さなけば、今度は本気で行くぞ」
「さっきのも本気でしょう?まったく」
震えも構わず九郎は言った。が、弁慶も射るようにまっすぐに九郎を見上げ、
「はじめからではなかった、けれど、君の気持ちは分かっていた」
なのにその声は至って穏やかで、まるで波のない湖のようだった。そして唐突な内容。
九郎は面食らい、いささか怯む。
「なんだ、突然」
「『突然』はこちらの台詞ですよ。そう、君はこんなに分かりやすいのに、時々思いもよらない事する。まさか昨日、あんなに急に言われるなんて、思ってもみなかったんですから」
声音とは裏腹に、責めるような目だと思った。それはつまり、九郎が急に言ったものだから断りの言葉を用意できていなかった、と、
「僕がどれだけ驚いたか、君に伝えられればいいのに。眠れなかったし、今だって……君にどう接すればいいのか決めかねている」
……最初は素直に思った。けれど。
「べ、んけい?」
「ところで九郎、君はさっき言いましたね、『変わらない』と。だったら君は、どうしたい?」
「どう、って、何の」
「君は僕が好きだと言う。そして僕たちは恋仲になった。その僕がここにいる。だったら、君は今どうしたい? 何をしたい?」
弁慶はなおもまっすぐに九郎を見つめる。微かに下から見上げる大きな目。それは……想いを告げたのは九郎の方だった、九郎だけだった筈だなのに?
「それは……」
もしかして。
目は口ほどに物を言う。それが確かだというならば。
「……抱きしめたい」
話の飛躍もお構いなしに、先ほどまでの激昂も置き去りに九郎はそう本音で答えていた。
「ささやかですね」
軽やかな声と共に、彼は九郎の肩からそっと手を離し、ゆっくりと降ろした。そのまま留まる。まるで九郎を待っているかのような姿。
戸惑いながらも九郎は控えめに抱き寄せた。柔らかでもないし、すっぽり収まった、とも言い難い体躯。こうするのははじめてではない筈だ、それでも、まるではじめてだと錯覚するほどに、どうしようもなく気恥ずかしい。そんなこちらの心を知ってか知らずか、弁慶はことりと九郎の頬に頭を預けて笑う。
「なんだかくすぐったい」
ふわふわと髪が頬を撫でる。あらゆる意味でそれは九郎の台詞だ、と言いたかったけれど、あまりに胸が苦しくて言葉を紡げなかった。
僅かな後、彼は今度は九郎の背に手をまわした。つい体がこわばってしまう、と、また弁慶が楽しそうに笑いを零してから言った。
「それにしても、あんなにも君が怒るとは思わなかったな。そんなに僕が好きだったんですね」
「……ああ、そうだ」
お前の態度だってあんまりだった、と言いたくもなるような弁慶の言い草だったが、彼の言葉は事実だったので、九郎は頷いた。すると弁慶がこちらを向いた気配がした。見ればふわりと微笑んでいた。
「君は堅苦しく考えすぎなんです。君は僕が好きで、そして僕も君を拒絶しなかった。だからといって、その事実を確認した、ただそれだけで次の日からいきなり豹変できるほど、君は器用じゃないでしょう? そして僕も」
「だが」
だからといって一切何も変わらないのも、と、一度流れてしまった想いをせき止められない九郎は主張しようとしたけれどやはり弁慶に遮られる。
「こんな風に僕を抱きしめたい、と思っていたのに、それすらできなかった君が?」
「う」
それには反論できなかった。確かに……弁慶が普段通りにしていたら、九郎もいつまでそうしていたかは分からない。
「ですが、僕も不義理でしたね。もしかしてまだ、僕が同情や義理で承諾したと、お勘違いしていますか?」
「それは」
ない、と、九郎は今なら思えた。すると弁慶が再びことりと九郎に頭を預けた。
「それはよかった。なら難しく考えないで。君が言いたいことを言えばいい。したいようにすればいい」
そしてそれきり黙った。沈黙は今までになく息苦しい。身じろぎさえできず、腕に力がこもってしまっているのが自分でも分かった。けれどどれも不快ではなかった。静寂は心地よく、触れあう頬は熱く重なる体は暖かく。ただ困惑は消えない。成程彼の言うとおりだった。変わりたい、願えど、いきなりさっき弁慶がしたような振る舞いや甘い言葉など浮かびやしない。
でも、『したいようにすればいい』なら……、それで構わないなら。
「だったら、もう少しこのままで」
素直に告げれば、弁慶がくすりと笑う。ただそれだけの仕草で思い知る。
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焦がれた相手が弁慶で、彼を好きになって良かった。
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